テンペスト/池上永一
- 作者: 池上永一
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/08/28
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19世紀の琉球の全てが詰まった傑作小説である。琉球文化・信仰(アニミズム)・王宮内の権力闘争・華麗な王朝絵巻・列強の影・ペリー来航・琉球処分などなどが、最初から最後まで息をもつかせず極めて劇的に展開される。物語の奔流は圧倒的であり、一部で出て来る近代的に過ぎる言葉*1や砕け過ぎた台詞回しを気にする暇もなく、ほとんどの読者は押し流され、夢中で一気読みしてしまうはずだ。そして作品全体を結合しているのは、小国であるがゆえの悲しさと逞しさ、そして寧温=真鶴の「男として生まれたかった」と「女として生きたかった」の相克なのである。これがあるからこそ、本当に様々な要素とエピソードがぶち込まれているのに、読者は物語に中心があるという確固たる手応えを感じることができるのだ。素晴らしい。
さて真鶴と孫寧温だが、同時に首里城にいる時期もあるのに、何故か皆さん同一人物だと気付かない。寧温もしくは真鶴を尊敬していようが懸想していようが実際に寝ていようが関係なく、本当に誰もが気付かないのである。これは紛れもないご都合主義だが、同時に、寧温=真鶴の引き裂かれたジェンダーをより一層強調している点は見逃すべきではない。そこに、清の冊封体制に属しつつ薩摩経由で日本の幕藩体制下にも組み入れられるという二重性、そして日本領でありながら全く異なる歴史を持ち、以後も沖縄戦・米軍統治・日本「返還」などの特殊な歴史を歩み続けたという、現代まで連綿と続く二重性のメタファーを読み取ることも不可能ではない。沖縄県民はいざ知らず、少なくとも私自身は、沖縄が全く異なる歴史を持つ別の国家であったことは知りつつも、日常においては意識せずに他地域と同じレベルで「日本」であると感じてしまうのだ。寧温=真鶴であることに気付かないことと、根は同じ――かも知れない。登場人物たちがあれほど懸命に守り抜こうとした《琉球》が、琉球処分によって日本に併合される最終幕。我々「日本人」はそこに何を感じ、何を見るのか。そこが一番重要だったような気がしないでもない。