ニコライ・ルガンスキー ピアノ・リサイタル
紀尾井ホール:19時〜
- ヤナーチェク:ピアノ・ソナタ《1905年10月1日 街頭にて》
- プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」からの10の小品op. 75より
- 3.メヌエット
- 4.少女ジュリエット
- 5.仮面舞踏会
- 6.モンタギュー家とキャピュレット家
- 7.僧ロレンツォ
- 8.マーキュシオ
- 9.娘たちの踊り
- 10.別れの前のロメオとジュリエット
- リスト:《巡礼の年》より
- リスト:超絶技巧練習曲集より
- 第12番《雪かき》
- 第5番《鬼火》
- 第11番《夕べの調べ》
- 第10番ヘ短調
- (アンコール)ラフマニノフ:13の前奏曲op.23-5ト短調
- (アンコール)シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化芝居《幻想的情景》op.26より第4曲《間奏曲》
- (アンコール)リスト:超絶技巧練習曲集より第4番《マゼッパ》
- (アンコール)ラフマニノフ:12の歌op.21第5曲《リラの花》
- (アンコール)メンデルスゾーン:劇音楽《真夏の夜の夢》より《スケルツォ》(ラフマニノフ編)
- (アンコール)カプースチン:コンサートエチュードop.40-7《インテルメッツォ》
- ニコライ・ルガンスキー(ピアノ)
ルガンスキーは従来あんまり好きな奏者ではありませんでした。ちょっと線が細いし、タッチも音色も楽曲把握もクリア過ぎて色々な要素を透過してしまっているような印象があったんですよね。深沈たる風情もあんまり感じさせてくれなかったような……。ただし実力者であることは間違いなくて、楽譜を信じてサクサクすぱすぱ進むスタイルもこれはこれで見識だし、音楽の構造をしっかり聴かせてくれる辺り、「何も考えていない」わけでは明らかになく、むしろその反対であることは一聴すれば誰でもわかったわけです。
というわけでこの日のリサイタルですが、ヤナーチェクとプロコフィエフではこの「弱点」がやや出てしまいました。特に、デモ騒ぎで死んだ若者を悼むヤナーチェクでは、生々しい血の薫りや死の虚無感がもっと欲しかったように思いました。ちょっと味気なかったかな。プロコフィエフも、最初のうちは情感が不足していたように思われました。でも見事な奏楽であることは断言できるわけで、どちらも演奏会にかかる機会が少ないこともあり、これ以上の実演に出くわす可能性はかなり低いとは言えます。それに、《娘たちの踊り》と《別れの前のロメオとジュリエット》では、哀切な情感が漂って来ており純粋に聴き惚れました。ルガンスキー自身、時間が経つに連れてノッて来た、という側面はあるのではないでしょうか。
そして後半とアンコールは言うこと何もなし! リストは正直私の胃にはもたれるんですが*1、だからこそ、ルガンスキーによって浄化されてちょうどいい按配になっていたように感じられました。繰り返しますがタッチがクリアなんで、たとえば《エステ荘の噴水》などは吹き上がる水が目の前で本当にキラキラと光っているような、鮮烈なイメージが脳裏に浮かびました。そして他の曲でも、沈み込むような情感こそ希薄ながら、静かな部分では耳をそばだてる硬質な美音によってピンと張り詰めた緊張感を終始保ち、轟音で決めるべきところはしっかり決める仕事人ぶりが冴え渡る。アンコールは本プロよりもテンションが高く、特にラフマニノフ編のメンデルスゾーンと、ジャズ風のカプースチンでは客のボルテージも振り切れてましたね。素晴らしいリサイタルであったと思います。天気のためか人気のためか、空席が目立ったのは残念でしたが、また来日してください。
*1:むろん曲によりますが、非常におおまかな傾向としてご理解ください。