不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

辛い飴/田中啓文

 サックス奏者・永見緋太郎が、ジャズ奏者たちが出会う謎の数々を解くシリーズ第2弾である。今回もまた音楽が「聞こえてくる」作品集で、作者お得意の駄洒落攻撃は抑えられており*1、作者の音楽に対する姿勢は(小説内だけでなく、短編の間に挟まれる音盤紹介コーナーでも)至極真摯かつ公平なのだ。ワトスン役の唐島が「昔はやんちゃもしたが、今は至極常識人のミュージシャン」であることも手伝って、本書は小説として非常に地に足が付いている。田中啓文の作品の中には、いい意味でどこか浮かれたところがあるものも多い。しかしこのシリーズは、これまたいい意味で浮かれていない。音楽の世界に材を取り、読んでいるだけで好感が湧き上がってくるような小説――ジャンルこそ違え、音楽ファンとしては本当に嬉しいことである。
 さて今回の収録作品7編はいずれも、実質的には《日常の謎》と言える。しかし作品舞台が特殊なギョーカイなので、ほとんどの読者が非日常的な感覚を味わうことになるだろう。一方、ジャズの世界に慣れ親しんだ人にも、作品が田中啓文のしっかりした知識(自身楽器をいじるため、恐らく音楽とその周辺事情は彼の血肉になっていると思われる)に基づいているため、違和感が全く覚えずに済むだろう。ただし、ミステリとしては『落下する緑』に比べると若干弱くなった。謎も解法もである。ただし、笑酔亭梅寿謎解噺のようにミステリを放棄して単にいい話にする、というわけではなく、こだわりはまだ見て取れる。謎に包まれた伝説のブルースマンの正体に迫る「酸っぱい雨」、グランド・ピアノが消失する「渋い夢」などは、ミステリとしてだけ見ても水準以上の佳作といえる。音楽ネタだけではなく野球ネタや土俗信仰ネタも混じっているが、総合的には音楽家の《業》のようなものが表れているのも相変わらず素晴らしい。『落下する緑』に好意的な読者の期待に十分応えた一冊といえるだろう。

*1:ただし「甘い土」では我慢できなかったようだ……。