不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

千の嘘/ローラ・ウィルソン

千の嘘 (創元推理文庫)

千の嘘 (創元推理文庫)

 父が家を出て行き、彼の気を引くため母は娘に病気であることを求めた――いわゆる代理ミュンヒハウゼン症候群の母親に育てられたエイミー・ヴォーンは、母の遺品の中から、モーリーン・シャンドという女性が書いた昔の日記帳を見付ける。その内容からは、モーリーンが母アイリスや姉シーラと共に、父親レズリーに暴力で支配されていたことが伺えた。興味を持ったエイミーが調べてみると、18年前にシーラは、レズリーを射殺して故殺の罪で3年間収監されていた。エイミーはアイリスやシーラと接触を図るが、ちょうどその頃、エイミーの父親ジョージが久々に帰って来て、エイミーの身辺で不可解な出来事が起きるようになる。これは父ジョージの怪しげな商売に関係しているのか? それともシャンド家の事件を調べたからなのか?
 ヴォーン一家もシャンド一家も、あまりにも多くの、そして重い問題を抱えている家族である。主人公エイミーにとって子供の頃の、体調が悪い振りをさせられて医者に何ともないとの診断を下される度に、母に「お前に愛情はないのか」と怒られる、という体験は半ばトラウマになっている。かといって父親もいい加減な男であり、娘の愛情や家族の絆を軽々しく口に出して目先の問題を回避する姑息な生き方に、エイミーは心底うんざりしているのだ。
 一方のシャンドー一家は更に酷い。父親レズリーによるドメスティック・バイオレンスは行き着くところまで行っており、彼は完全に暴虐に支配されている。ジャック・ケッチャムの作品に出て来たとしても全く違和感がないほど、彼には知性も品性も常識もない。彼は獣のような欲望にひたすら突き動かされている。そして虐待の嵐は恐怖による束縛を呼び、母娘は惨禍を前に、何一つできないのだ。読んでいて実にストレスフルな小説だが、一応このDVは18年前の事項なので、あまりにも生々しいというほどではない。ただし悲劇性は、18年を経てもなお一家に暗い影を落としているという点でより一層際立っており、小説としての読み応えはたっぷりだ。
 私は本書をジャック・ケッチャム閉店時間』の直後に読んでしまい、色々と死にそうになったが、最後の最後で作者は、悲惨な家庭に育ち、長くトラウマに囚われていた人間にも、いつか幾許かの慰めや癒しを得ることができる、いやできるはずだ、ということを暗示する。これは何とも言えない救いとなっている。いい小説であると思う。