不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

青銅の悲劇/笠井潔

青銅の悲劇  瀕死の王

青銅の悲劇 瀕死の王

 天皇が末期の衰えを見せていた1988年末、東京と平野部の西端にある頼拓よりつ市の旧家・鷹見澤家では、奇妙な出来事が続発していた。一族からそう団を受けた推理作家の宗像冬樹は、フランス人ナディア・モガールと共に調査に当たる。しかし冬至の日に執り行われた会食の席で、鷹見澤家の当主・信輔が倒れてしまう。原因は、日本酒に入れられていたトリカブトの毒だった!
 帯には矢吹駆シリーズとあるが、本書を読む限りの実態は、《天啓》シリーズの続編+ナディア・モガールである。ただしメタ要素は今回強くない。と言うよりも、昭和と笠井潔の人生を静かに総括する、といった趣が強く、実験的な手法はあまり活用の余地がないのである。
『容疑者Xの献身』を「初歩的で安直な推理」と切って捨てた作家=評論家だけに、『青銅の悲劇』で展開される推理は詳細を極める。また実際の犯行プロセスもかなり複雑である。重箱の隅を突付くような解析と、それによってしか浮かび上がらない諸相が読者の前で延々と繰り広げられるが、ここには確かに、本格ミステリ上級者(笠井に言わせれば、これでやっと水準ということになるのだろうが)によるマニアックな悦楽が息づいている。
 とはいえ、読者の印象に最も残るのは、推理ではなく、宗像冬樹の述懐である。昭和の終焉に事寄せて、彼は全共闘の(つまり自分の)蹉跌とその後のやるせない生を語る。彼は非常に率直に内面を打ち明けており、哲学的・政治的な事項に踏み込んでも、背景に感慨や感傷があるのは明らかである。しかもこれらは、作者自身の本音である可能性が極めて高い(言うまでもないが、宗像のモデルは笠井潔その人に他ならない)。よって、笠井潔の「頭」ではなく「心」の肉声といった印象を読者としては強く(笠井の種々の評論よりも更に強く)受けるはずだ。
 矢吹駆シリーズは従来、大上段に構えた主張が頻出してきたが、『青銅の悲劇』が若干様相を異にしていると思うのは私だけではないだろう。長過ぎるのは難だが、笠井ファンには必読の一冊である。