不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

鎮魂歌は歌わない/ロイ・ウェイウェイオール

鎮魂歌は歌わない (文春文庫)

鎮魂歌は歌わない (文春文庫)

 娘を殺された自堕落な男ワイリーは、友人レオンと共に復讐のため立ち上がる。だがその犯人の周りには、FBIの捜査官らしき人物が……。
 私立探偵小説ではないし、人間関係の解釈を読者に委ねるようなところがあり、また主人公の本書における行動原理が信念ではなく娘への贖罪の念に基づく。よってハードボイルドと言われると違和感を覚える向きは少なくないはずだ。しかし作品の焦点は終始主人公の内面に合わされており、この点では読み応え十分の作品なのである。
 ワイリーは何かを亡き娘のためにしたことにしよう、いやしたい、という狂おしい思いに突き動かされている。ここが本書最大のポイントだ。「正しい」親のあり方としては、そんなことは日常的にやって当然である。売春婦まがいのことをやらかし、挙句モーテルの一室で惨殺されるような人間に子を育てた責任の一端は、間違いなく親にもある。よって、このダメ親父が何を今更、などと批判することは十分可能だろう。しかしここで思い起こして欲しいのは、人間はいつも「正しく」あれるわけではない、ということである。大きな過ちを犯しながら目を逸らし続け、遂に取り返しの付かないことになって深く後悔する――そんな経験など絶対にないし今後も死ぬまであり得ない、普通の人間ならそれができて当たり前、できない奴などあり得ないほど低能に違いなく、そんな人間を小説の主人公に据えるのはおかしい、という主張が「正しい」のであれば、本書はまがう方なきゴミということになろう。しかし人間は間違う。間違い続ける。気付いても逃避する。挙句後悔する。そして、後悔するだけで終わる人間もいれば、本書の主人公のように、後悔して初めて何らかのアクションをとる人物もいるのである。
 ワイリーは、最初は破れかぶれだが、しかし次第に決然とした態度を取り戻し、復讐を成し遂げんとする。もちろん肝心の娘が死んでいる。それも、ワイリー自身は彼女を放っておいたのだ。事ここに及んでは、何をやっても自己満足であり欺瞞ですらあるかも知れない。しかしここには、「正しく」はないかも知れないが、紛れもなく切実で悲愴な足掻きがある。私としては汲んでやりたい。
 この他、殺人犯が一人称で投げやりな人生観を披瀝するパートも随所に挟まれ、効果を挙げている。事件の背景が最初からほぼ丸わかりであるなど、若干物足りない点はあるが、人物描写がこれをカバーし、いい小説になっていると思う。軟弱でも剛毅でもなく、派手でも地味でもない作品なので薦め方が難しいが、人間の強さと弱さ、そして何事も合理的には進まないという現実の虚しさを見つめたい人には一読の価値はある。