不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

白鹿亭綺譚/アーサー・C・クラーク

白鹿亭綺譚 (ハヤカワ文庫 SF 404)

白鹿亭綺譚 (ハヤカワ文庫 SF 404)

 ロンドンの裏通りにあるパブ《白鹿亭》には、水曜の夜に科学者・作家・編集者が集まり、嘘とも真ともつかぬ奇怪なエピソードを披露していた。中でもハリー・パーヴィスは一番のお喋りで、次から次へと法螺としか思えない話を繰り出し、他の常連客を煙に巻いていたが……。
 15編を収めた連作短編集である。ユーモラスな話が多いものの、残酷な結末を迎えるものも結構あり、ブラックな味わいを楽しむことも可能だ。ただし現実の苦み――酒が不味くなってしまうような――は希薄である。話者が警句めいたことを最後に言うのが恒例とはいえ、たぶんほぼ全て法螺だからである。プロットとアイデアはシンプルなものが揃っており、最後にちょっとだけ捻りを加えた作品が多い。我々読者は、《白鹿亭》の常連客たちと一緒に、ときにニヤニヤし、ときに驚かされ、ときに(文明や人間への皮肉に関して)物思いに沈むことを大いに楽しめば良い。個人的には、「軍拡競争」、「臨界量クリティカル・マス」、「究極の旋律」*1、「とかく呑んべは……」、「尻ごみする蘭」、「登ったものは」が印象的であったが、他の作品も粒が揃っている。
 しかしそれにしてもクラークは楽しそうに書いている。通常時の彼を特徴付ける「壮大な光景」「科学と理性への信頼」は、確かに彼の十八番ではあったものの同時に彼を束縛していたのかも知れない。だが『白鹿亭綺譚』において彼は一旦解き放たれ、自由闊達に筆を運んでいる。こういうクラークも悪くない。とはいえまえがきを信用すると、本書は「SFでユーモア小説は書けない」と主張する評論家連中に反発して書かれたようだ。ここで示される反骨精神はいかにもクラークらしい。
 いずれにせよ、SFの巨匠の名作を読むんだ、という気負いは本書の興を殺ぐばかりである。肩の力を抜いて、しかし存分に楽しんでください。

*1:『ムジカ・マキーナ』を読んだ直後だったので余計に印象に残った。