不壊の槍は折られましたが、何か?

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ムジカ・マキーナ/高野史緒

ムジカ・マキーナ (ハヤカワ文庫JA)

ムジカ・マキーナ (ハヤカワ文庫JA)

 1870年、ウィーンの音楽家たちの間では、音楽的悦楽をもたらす麻薬《魔笛ツァウベルフレーテ》が密かに流行していた。しかし、ドイツ連邦の軍人ベルンシュタイン公爵は、この《魔笛》の効能が、プロイセン軍によって極秘裏に開発されるも副作用が大き過ぎ、存在が闇に葬られた向精神薬《イズラフェール》に酷似していることに気付く。一方、ウィーン・フィルを統御し切れず悩む新進指揮者フランツ・ヨーゼフ・マイヤーは、謎多き舞踏場《プレジャー・ドーム》より招聘を受ける。この舞踏場は、姿の見えないオーケストラが素晴らしい演奏を聴かせると、ウィーンで大変な評判を取っていたが……。
 音楽尽くしの作品である。ムジカ・マキーナ――機械仕掛けの音楽――というわけで、本書のSFとしての要は「録音」または「音を出す装置」が登場する点にある。アントン・ブルックナーがまだ代表作を書かず、ヨハン・シュトラウス二世も現役バリバリ、普仏戦争も近い、そんな時代のウィーンやロンドンでDJを活躍させてしまう発想には脱帽である。そしてそれをもって追求されるのは、《真に素晴らしい音楽とは何か?》という命題である。登場人物たちは愚直に、しかし狂おしく音楽の理想を求める。本書で直接触れられるのはクラシックやテクノだが、このテーマそのものは、ジャンル問わず音楽好きなら誰もに訴求するはずだ。素晴らしい音楽に遭遇したとき、他の全てを投げ打ってでもそれに身を委ねたくなる――その甘美な魔力を知っている者には、『ムジカ・マキーナ』もまた抗し難い魅力を持つ甘露と映るだろう。高野史緒一流の華麗な筆致で描かれた美的情景の数々も素晴らしい、傑作である。
 なお、クラシック音楽ファンへのくすぐりが随所に用意されていて、ここら辺は得した気分になった。実在の指揮者名がチョイ役の名前として使われているし、ベンヤミン・ビルゼといった人名もさらりと紛れ込んでいる。しかしそれ以上に、本書の主要登場人物にはブルックナー教授は、あの作曲家アントン・ブルックナーなのである。喋りが薩摩弁だったり、ハイティーン好き・死体(を見るのが)好きといった実際の嗜好にもしっかり触れていて笑わせてくれるが、最後のクライマックスでカッコよく活躍するなど、普通に見せ場もあるのだ。また指揮者フランツは、次期ウィーン国立歌劇場音楽監督フランツ・ウェルザー=メストをモデルとしている。高野史緒ブルックナーとメストのファンである。大好きな彼らを登場させて、大好きな音楽の深奥に迫る――そんな本書は、高野史緒にとっては一種の信仰告白であったのかも知れない。
 いずれにせよ、おすすめです。