不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

自由未来/ロバート・A・ハインライン

自由未来 (ハヤカワ文庫 SF 509)

自由未来 (ハヤカワ文庫 SF 509)

 その夜、ファーナム家には娘の友人も訪れて、和やかに会食を楽しんでいた。一家の主ヒューバートは先ごろ敷地内に核シェルターを作っており、そのことで息子デュークにからかわれる。だがその平穏は、終末戦争勃発を告げるラジオの声にかき消される。シェルターに急ぐ一家、そして不気味な地の揺れ……。やがて外に這い出した彼らは、世界が思いもかけぬ変化を遂げていることを知る。
 自分たち以外に人類はいないかも知れないという超サバイバル状況の下、ハインラインのマッチョ右翼っぷりが最高度に発揮されている。お父さんが軍隊式の厳しい生活を家族に要求し始めるのである(しかもハインライン自身は明らかにお父さんを支持)。倫理上の問題提起およびその回答は、控えめに言って尖ったもので、付いて行けない人が続出するのではないか。いくつかのシーンで、読者はのけぞりさえするかも知れない。……と言うと、ミステリ読みは石持浅海を連想するだろう。しかし石持浅海の倫理が、かなり理屈っぽいというか「感情すら頭で考えての損得重視」であるのに比べ、ハインラインはより問答無用かつ脳筋気味であり、抗議すると鉄拳が飛んで来そうだ。紳士的な笑みを浮かべながら捩れた倫理をもって人を説得にかかる石持浅海と、まるで鬼軍曹のような調子で捩れた倫理をアジるハインライン。どちらを採るかはお好み次第だが、ハインラインの方がカラッとしているとは思う。そして倫理を語る前半の後、物語は、現代アメリカ社会からするとあまりに皮肉な展開を迎える。この作家は脳筋気味だが断じて脳筋そのものではない。そのことは、『自由未来』後半からすれば明らかだろう。興味深いのは、最後の最後で問われるのが「生活水準か、自由か」であることだ。一生追求したテーマだったのだろうか。
 ストーリーテリングはさすがにうまく、リーダビリティは高い。考えさせる要素も上記のように事欠かない。『自由未来』、読んで損はない作品と言えるだろう。
 以下完全に雑談。ハインラインの主張の根幹には、いつ何時でも前を向いて《自由》を求める、という強い意志がある。これは既に一種の精神論だ。先の大戦で我々は大和魂を叫び過ぎて敗れた、それに比べアメリカは理知的だったと専らの評判だが、『自由未来』を読んでいるとそれは嘘のような気がして来る。ヤンキー魂もまた、狂気を生む可能性は大和魂とどっこいどっこいなのようにしか見えない。別にハインラインが狂っているわけではないが、この延長線の果てには、狂気があるはずだ。