不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

地球の緑の丘/ロバート・A・ハインライン

地球の緑の丘 (ハヤカワ文庫SF―未来史2)

地球の緑の丘 (ハヤカワ文庫SF―未来史2)

 未来史シリーズの短編集第二弾である。所収短編はいずれも『デリラと宇宙野郎たち』より未来の話で、宇宙開発は更に進行している。思うに、小説の舞台が未来になればなるほど、読者は細部のリアリティに必ずしもこだわらなくなる。現実の生活とかけ離れた要素が多くなるにつれ、「この部分で登場人物がこう動くのは自然/不自然」という読者の信念が弱くなっていくからだろう。そして、冒険や挑戦にかける意気込みは異境でこそ映えること、SFを代表する異境は宇宙に他ならないこと――電脳空間や異次元はこの際忘れてくれ――を考えると、ハインラインは、円未来を書いている場合の方が楽しめる作家なのかも知れない。特に、彼がマッチョ右翼を前面に出す場合には、だ。
 もっとも読書量が全然足りていないので、以上は単なる仮説に過ぎないことを付言する。固執するつもりはありません。
 というわけで、かなり端折ったが以上が総論である。以下、各論。
「宇宙操縦士」は、妻と水入らずの休暇をとろうとしていた矢先に緊急の仕事が入った男を描く。サラリーマンには他人事とは思えまい。特にモーレツ社員は共感を抱くだろう……と思ったが、理解ある妻の存在には嫉妬を覚えるかも知れん。「鎮魂歌」は「月を売った男」の続編だが、書かれたのは「鎮魂歌」の方が早い。月に降り立つことそれ自体が十分に人生の浪漫足り得ることを実感させる。次の「果てしない監視」はパトリオット精神全開で、主人公ダールクィスト中尉の軍人的自己犠牲がカッコいい。……ただ、これだと本当の最期はカッコいいなど言っておれない酷いものになるはずだ。そこまで行っても主人公とハインラインはカッコよさを維持できたのか、是非とも読んでみたかった気がする。とはいえこのままでも十分に重い一編ではある。「坐っていてくれ、諸君」は、一転ユーモラスな作品で、月のトンネルで奇禍に合った人々が問題をある方法で解消する。「月の黒い穴」は、月での家族旅行中に末っ子が迷子になり、お兄ちゃん視点のいいジュブナイルだが、もちろんハインラインである以上、少年主人公が傍観者または受け身でいることは許されない。つくづく行動大好き人間だと思う。「帰郷」は、月勤めが長かったカップルが久々に地球に、待望の帰還を果たす物語。だがしかし、パイオニア精神溢れるハインラインのこと、若者が望郷の念を抱きそれを果たすなんて後ろ向きなことなどけしからんとばかり、登場人物は全力で前しか向かなくなるのである。
「犬の散歩も引き受けます」では、総合サービス会社に、当時の技術でも不可能な依頼が舞い込み、七転八倒しつつも何とかする話である。要は新技術開発譚だが、科学技術そのものには全く触れられず、プロジェクトに従事する姿勢がメイン。美術のエピソードが出て来るのはちょっと驚いた(←ハインライン脳筋だと思い込み過ぎです)。「サーチライト」は、盲目の天才少女ピアニストが月面で遭難してしまい、必死の捜索が始まるというもの。ピアニストの設定をうまく活かしている、特に短い一編である。「宇宙での試練」は、事故のトラウマで極度の高所恐怖症に陥った宇宙飛行士がそれを克服する話――なのだが、そんな本筋はどうでもいい。ぬこかわいいよぬこ。「地球の緑の丘」は、盲目の宇宙詩人の放浪と、最高傑作創造を描く。情感たっぷりの逸品だが、「帰郷」では軽く一蹴されたノスタルジーが全面的に解禁されているのは興味深い。やはり主人公の境遇の違いのためだろうか? 
最後の「帝国の論理」は、手違いで金星の奴隷になってしまった弁護士が、自由を求めて手を尽くすという作品である。生活水準と自由の背反や、理想と現実のギャップを鋭く描いており、ハインラインがただの脳筋でないことは、本短編集中だとこれが一番わかりやすいだろう。
 以上、駆け足で個別に言及してみました。