不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

デリラと宇宙野郎たち/ロバート・A・ハインライン

 ハインラインのライフワーク《未来史》シリーズの中短編を5本収めた一冊である。
 各短編はアイデア・ストーリーとしての骨格を有すが、作者はここに登場人物の情熱をたっぷり盛り込んだ。このため作品は多くの場合「夢や理想を追い求める人間ドラマ」となっている。登場人物の意志が作品の性格を決定したことになろうが、こういった小説作法そのものが、あまりにも古典的な手法になっていることは否めない。最近の小説では、人間はもっと感情的かつ感傷的な生き物として把握されている。弱さを表面には出さない人物であっても、読者には読解できるようにすることが多いし、特に、主人公が弱さを一切持たない小説はほとんど全くない。ましてや、強い意志で自らの内面を完璧に律しているタイプの小説は、絶滅しているのではないだろうか。
 というわけで、本書の所収作品では、高速で動く道路にまつわる大規模な争議を描く「道路をとめるな」、月に行くことを夢見てそのために大胆な計画を推し進める「月を売った男」辺りは、主人公の意志が強過ぎて、小説として古びた印象を読者に与えるかも知れない。
 さらに、諸々のアイデアも今となってはシンプルに過ぎる。特に、原発を扱った「爆発のとき」は、キャラクターの造形こそ本書で最も魅力に富んでいるが、科学方面が(致し方ないとはいえ)さすがに古くなり過ぎた。「生面線」もさすがにこれだけだとつらい。残る表題作「デリラと宇宙野郎たち」も、今の目から見るとアイデアは今更だし、短編で書き込みがなされていないことと相俟って、登場人物の前向きな姿勢がどうにも単細胞に見えてしまう。
 というわけで『デリラと宇宙野郎たち』は現在読む価値のない作品である――などとは全く思わない。輝かしい明日を確信してひたすらに前に進む勢いが、この短編集には確かに横溢している。誤解を恐れずに言えば、それは本当に貴重なものである。そして、冷めた時代に生きる我々が忘れているばかりか、故なく馬鹿にするものでもある。しかし虚心に読めば、これらの要素はやはりまだ魅力的だと思われる。また、後年ハインラインが顕在化されるマッチョで右翼な姿勢の萌芽でもあって、非常に興味深い。一読の価値はある短編集だと思う。