不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

誘う森/吉永南央

誘う森 (ミステリ・フロンティア)

誘う森 (ミステリ・フロンティア)

 タイトルは『いざなう森』である。
 1年前、洋介の年下の妻・香映は毒を飲んで唐突に死んでしまった。自殺名所の森で自殺しようとする人を止めるボランティアに従事していた妻は、本当に自殺したのか? 認知症を患う老人の曖昧な証言、遺品の不審点をきっかけに、洋介は妻の死の真相を調べなおすことにする。だが、妻の実家の造り酒屋は次第に非協力的な態度を取り始めた。
 本書の主人公は、登場人物ではなく作品舞台に他ならない。人口僅か一万二千の町に静謐さと存在感をもって佇む、深い静かな森と享保年間から続く古い酒蔵。これらは作品の雰囲気を決定付けている。各登場人物とストーリーを描く作者の筆致があくまで奥床しいのも特徴で、流れはスムーズだが本当に淡々としている。このため《場》の雰囲気が作品を更に強く支配することになり、誰があるいは何が悪いというわけでもないのに、悲劇に至らざるを得なかった物悲しさがクリアな叙情を醸し出す。
 もう少し確然としたドラマトゥルギーがあっても良かったかも知れない。また、香映自身が一人称を務める過去のパートが随所に挟まれており、ここからは屋上屋を重ねた印象を受けた。香映という「読者の前には直接立たない者」の人柄を次第に浮き彫りにする、という手法の方がこの作品の雰囲気には合っていたと思われたからだ。しかしそれでもなお、本書は静謐に悲劇を描出した作品として評価できる。読んでおいて損はない。