炎の記憶/ケイト・ウィルヘルム
- 作者: ケイト・ウィルヘルム,藤村裕美
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1993/10
- メディア: 文庫
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小さな町の劇場を巡る人間関係が緻密に描かれていく。小説としてもミステリとしても、作者は心理面に焦点を合わせて物語を進めており、各登場人物が、初登場からいくらも経たないうちにクリアに立ち上がる様は本当に見事である。
一方、ミステリとしてはやや一本道であり、ロジックや伏線回収は水準以上ではあるが、超絶技巧を凝らしたというほどのものではない。そもそも作者が解決や推理のカタルシスに興味を持っているか疑問である。恐らくウィルヘルムは、人間模様をしっかり描き、葛藤や妄執を燻り出すことに主眼を置いている。本書で注目したいのは、事態の解決が関係者の苦悩の解決に直結していないことである。生きている限り、人間は葛藤し、諍いを起こし、消えない過去に悩まされる。その「あるがまま」は、たとえ目の前の殺人事件が解決されても、何も変わらないまま今後も続くのだ。だからこそ、本書では殺人事件は解決されるのに、誰も癒されたり許されたりしない。単に「ある状況」が始まり、展開し、終わるだけ。事件は確かに解決された。社会的にも落とし前は付けられた。だが各人の精神に大きな変化は、結局訪れないのである。あるいは、訪れているのかも知れないが描かれないのである。この突き放した作者のスタンスは、作品に清澄さをもたらしている。何と言ったらいいか、視界がとてもクリアなのだ。
「あるがまま」といえば、探偵夫婦の描かれ方も興味深い。彼らは、打ち沈む他の登場人物をよそに、とても活き活きとしている。事件関係者に良識を持って同情しはする。酷い事実が明らかになればそれなりに悲しみもする。彼らは明らかに良心的な人間だ。だが根本的に、彼らにとって関係者の悲惨さはあくまで他人事に過ぎない。冷徹な観察者でもなければ、関係者に我が事のように感情移入するタイプでもない。そして関係者もそれを求めない。関係者と探偵双方はお互いを「外部」とみなし、人生模様は交錯しない。ゆえに、関係者が多視点による冒頭100ページ超と、探偵夫婦に視点が移るその後で、物語の雰囲気は少し変わる。ここら辺は読んでいて非常に興味深かった。
このシリーズは『炎の記憶』しか訳出されず、それも今や絶賛品切れ中である。このシリーズは純ミステリだけではなく、ファンタジーだったりSFだったりすることもあるという。おしどり探偵vs宇宙人とかめちゃくちゃ読んでみたいのだが、新規訳出は売り上げの見通しが立てないと難しかろう。ううむ、どうすればいいのか。
本書は人間模様の描写が実に見事であり、十分な佳作である。ミステリ・プロパーではない小説好きの方が、この人物描写の解像度を評価してくれるかも知れない。なお、『カインの市』『クルーイストン実験』『杜松の時』に比べると読みやすい。ケイト・ウィルヘルムに興味ある向きは、古本屋で見かけたら是非手に取ってください。