不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

聞いてないとは言わせない/ジェイムズ・リーズナー

聞いてないとは言わせない (ハヤカワ・ミステリ文庫)

聞いてないとは言わせない (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 テキサスの片田舎にやって来た青年トビーは、中年美女グレースが一人でやっている農場で働き始めた。親子ほども歳の離れたトビーとグレースは互いに惹かれ始めたが、ある日突然、その牧歌的な日々は終わりを告げる。2年前の強盗事件で盗まれた札束の争奪戦に、彼らは否応なく巻き込まれるのだった。
 実にさくさくと進む、快活なノワールである。通常ノワールまたはピカレスクでは、《人生の闇》が強調され、その黒さが読者の胸に澱のように溜まるものだ。人生の暗さに慄然とすることだって多い。ところが本書はこれがあまりない。プロットと人物造形はいずれもシンプルであり、猥雑なところや微に入り細を穿った内面描写もない。金を巡って争う人々は、相手を出し抜く機会を虎視眈々と狙っているが、それは必ずしも知能戦に繋がらない。ヒロインの状況に即応する能力は見事で、その点で「頭がいい」ことは確実だが、事態の見通しが若干近視眼的であり、行き当たりばったりの感すら否めないのである。そして若い主人公も、騒動を通して成長するわけではなく、ヒロインを補助する役割を担うのみだ。更に、事件自体もスケールが矮小だ。文体も硬派ではなく、短いセンテンスで人生の虚無を鋭く抉るわけでもない。場当たり的な犯罪者たちの愚かしさや自棄っぷりがさらりと触れられているに過ぎないのである。
……などと言うといかにもつまならそうだが、これらの「安い要素」をスマートに纏め上げ、スタイリッシュな作品を完成させた作者の手際の良さ、これは賞賛されるべきだ。本書の中で、事件の局面はくるくる猫の目が変わるように変化していくが、これをリーズナーは実にテキパキと整理している。これは素直に凄いと思った。整理がクレバー過ぎて、銃撃戦やセックスに目が行く読者には局面の変化を読み落とされる危険性があるのは残念だが、『聞いてないとは言わせない』は紛れもない佳作である。軽いクライム・ノベルを求めている人には、強くオススメしたい。