不壊の槍は折られましたが、何か?

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宇宙のランデヴー/アーサー・C・クラーク

宇宙のランデヴー (ハヤカワ文庫 SF (629))

宇宙のランデヴー (ハヤカワ文庫 SF (629))

 2130年頃、ある巨大物体が太陽系に進入してきた。ラーマと名付けられたこの物体は、当初小惑星と思われていたものの、追加観測の結果、巨大なシリンダー状の人工物と判明する。遂に異星文明の存在が実証されたのだ。しかし進路計算すると、ラーマは再び太陽系を飛び出してしまう可能性が高い。その間にラーマに着陸することができるのは、近くを飛んでいた宇宙船エンデヴァー号だけだった。かくてノートン中佐率いるエンデヴァー号の乗組員たちは、急遽調査隊としてラーマに赴く。
 ファースト・コンタクトものであり、基本的にはその難しさを描いた作品である。ただしスタニスワフ・レムとは違い、絶望的な相互理解不能性は全く強調されない。本書に横溢するのは、遂に異星文明の客を迎えたこと、そしてその文明の産物を探検することに対する、ノートンたちの昂ぶりである。彼らは欣喜雀躍してラーマに乗り込み、様々な驚異を目にする。もちろんファースト・コンタクトに対する恐れや不安は皆無ではない。そればかりか、本書には、ファースト・コンタクトに当たっての人間の愚行を直視したエピソード*1すら含まれており、楽観論一辺倒では決してない。だがこれらの懐疑以上に、知的で健康的な好奇心が探検隊員を支配し、ひいては物語のベクトルを決定付けている。
 少年少女の純真さはしばしば、薄汚れた大人の胸を打ち、襟を正させる。これと同様に、クラークの世界に対する楽観性にはハッとさせられる。たとえば『宇宙のランデヴー』のラストである。恐らくレムであれば、ここにはありったけの絶望を込めたはずである。だがクラークは、レムが書いてもおかしくない顛末を描きながらも、希望を失わない。そこに凄みを感じるのは私だけだろうか。
『宇宙のランデヴー』は巨大構造体の壮大な光景に圧倒されつつ、知性と理性へのクラークの信頼を味わえる作品である。SFに慣れていない人には、展開が竜頭蛇尾だと思われる可能性は残るものの、クラーク・ファンが必読であることは間違いない。おすすめしておきたい。

*1:水星人の件です。