不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

チューバはうたう/瀬川深

チューバはうたう―mit Tuba

チューバはうたう―mit Tuba

 第23回太宰治賞を受賞した表題作を含む3編より成る短編集。
 短編「チューバはうたう」は、製薬会社勤務の26歳の女が、中学時代からずっとチューバを続けているという話。主人公は粛々と「私はチューバを吹く」と語る。語り口は妙に堅苦しくて理屈っぽく、それゆえにユーモラスで面白く読めるが、しかしチューバに関する根源的な欲求を遂に彼女は換言できない。本作の主人公が執着するのはチューバだが、似たような論理で説明しきれない執着は、全ての趣味に言えることなのである。26歳にもなって(女がするようなものではない、などと言われがちな)チューバを川原で吹いていることは人には理解されづらい。だがこの程度の無理解であれば、小説好きならほぼ全員、直面したことはあるだろう。だからこそ、本書は小説好きに対して強く訴えかけるものを持っている。最後の展開が多少ドリーミーなのも、作品に愛嬌を与えている。まさしく佳品だ。
 続く「飛天の瞳」は、若い頃南洋で放蕩の限りを尽くし、現在は特養で寝たきりの祖父を持つ若者が、祖父も行ったかも知れない外国に行くと――という作品。歌詞等の引用部分を除き、実質的に改行ゼロ、ついでに最初の一字も空けていない文章が特徴的で、ダラダラと主人公の意識が漏れ出しているような印象を受ける。淡々とした事物観察の行間から、抑えた感傷が垣間見えるのは私だけだろうか。
 最後の「百万の星の孤独」は、手製のプラネタリウム上映会にやって来た人々を描いた作品。完全に群像劇で、彼ら個人(またはグループ)の人生はこの上映会においてしか交差しない。深刻または劇的なエピソードは皆無だが、彼らが活き活きとしている、つまり作者の筆が走っているのは素晴らしい。個々人に深くは踏み込まないものの、皆妙に印象に残るのは気のせいだろうか。プラネタリウムの――それは結局、星空の――のロマンティシズムが作品を通底しているのも見逃せない。
 作品としての求心力は「チューバはうたう」が段違いで高いが、他の2作品もなかなかに魅力的で、話としても整理されている。なるほどこれは実力者、読みやすいのも素晴らしい。まずは読書好きにすすめておきたい。