不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

フリオ・コルタサル/悪魔の涎・追い求める男

 アルゼンチンに生まれ、フランスに没した作家の、短編10編を収めている。普通小説と言い得るのは「追い求める男」のみで、他は超現実的な話が並ぶ。作家が伝えたい確固たる何かがあって、それを一本気に伝える――といったタイプの小説ではない。展開がシュールであるか否かを問わず、作家はさながらホロスコープのように作品の局面を変え、雰囲気も変え、読者を物語自体・小説自体でもって幻惑する。それを快いと感じる層には、本書は素晴らしい作品と映るだろう。なお、集中最長の「追い求める男」はちょうど真ん中に配置され、一冊の本として本書のバランスに貢献している。乱暴に言えば、その前は幻想味の強い作品が置かれ、後にはシュールな展開の作品が置かれている。
 本書は、作品ごとに、いやそれどころか作品の中でも様々に違う顔を見せたりするので、ジャンルを問わず小説を愛好する層には広く受け容れられるだろう。
 以下、各編へのコメント。覚書に近いです。
 異色作家短編集系統においてはある意味よくあるオチが付く「続いている公園」から始まり、続く「パリにいる若い女性に宛てた手紙」は、口から兎を吐き出す男が、留守中の若い女性の部屋に住み、その女性に宛てて手紙を綴っていることになっている。この話は色々解釈できるので非常に面白かった。「占拠された家」では中年の兄妹が、住んでいる屋敷を何者かに徐々に侵食される。交通事故に遭った男が、未開部族になった夢を見ている「夜、あおむけにされて」、夕方に何気なく写真を撮ったというだけだったはずの「悪魔の涎」は、非現実が現実を侵食していく話で、オチはよくあるものだが、すっきりとしながらも不気味な筆致が素晴らしい。
「追い求める男」は、音楽評論家の一人称で天才サックス奏者を描き出す。音楽家の方は芸術家らしく奇矯な振る舞いをするのだが、より印象的なのは、この音楽評論家が抱く屈折した想いだろう。コンプレックスあるいは「天才の近くにいる凡才」と呼んでもまだ単純に過ぎるきらいがあるが、とにかくそういった小説である。超現実的な要素は一切持ち込まれないが、評論家のもやもやした内面描写は、短編集の他の作品とどこかで軌を一にする。
 これに続く「南部高速道路」は、大渋滞が何日も続きいつの間にか近くの車同士でコミュニティが出来上がる、というもの。「正午の島」では、客室添乗員が毎回のフライトの都度、正午に見る地中海の島がどうにも気になって仕方がない、というものである。「ジョン・ハウエルへの指示」は、前衛劇の趣向なのか何なのか、なぜか劇の主人公を第二幕でいきなりやらされることになった男の話。「すべての火は火」では、ローマ帝国時代の属領で総督たちが剣闘を観戦している部分と、女が男に電話している部分が脈略なく入り乱れる。この4編は相当にシュールである。