不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

風少女/樋口有介

風少女 (創元推理文庫)

風少女 (創元推理文庫)

 義父が亡くなり、東京から前橋に帰省してきた斎木亮は、初恋の相手の妹・川村千里と偶然出会い、姉・川村麗子が死んだと聞かされる。睡眠薬を飲んで風呂場で事故死したということだったが、斎木亮は納得の行かず、義父を弔う傍ら、麗子の死の真相を探り始める。
 主人公は22かそこらで、麗子の死に関し主人公が事情を訊いて回る人物はほぼ全員、彼らの同級生である。彼らは既に成人しているし、一部はもう働いて一人立ちしているのだが、やはりまだまだ若い。そんな若者たちが、『ぼくと、ぼくらの夏』のように、あるいは柚木草平のように、警句めいた「臭い」科白を折に触れて使う。普通であれば中二病臭が漂い始めてもおかしくない。だが『風少女』は大丈夫である。
 もちろんそれは第一に、樋口有介の筆のうまさゆえなのだが、他にも理由はある。まず《死》の影が濃厚なことだ。麗子の死により、高校時代の同級生たちとの再会は一種の重苦しさを呈し始める。更にここに、主人公の義父の死がかぶさる。母・姉・妹が残る実家で、亮は彼らと人生を静かに語り合う。そこにいるべき者を喪った家に流れる寂寥感は、22歳にして内省的になる亮の視点を「中二病」と切り捨てることを難しくしている。この二つの死が、物語にほとんど静謐とまで言える雰囲気を根付かせており、通常であれば「気取った」ものと捉えられるだろう発言と表現を、真面目に接さざるを得ないものに転化させているのだ。
 そして事件内容も、「高校時代」の捉え方が主人公と他の同窓生で異なることが、絶妙な効果を挙げている。東京に出た結果、主人公にとっての高校時代の人間関係は「過去」のものとなった。しかし前橋に残った同窓生からすれば、当時の人間関係は現在に至るまで継続している。同窓生から見れば人間関係は《今日》のものだ。ゆえに、同窓生から見れば事件は現在の事件だが、主人公から見た事件は《過去への執着が生んだ悲劇》と見えるのだ。このすれ違いは何とも言えず物悲しい。
 というわけで、本書は実に素晴らしい作品であった。帰省して旧友と会うと、少し悲しくなる――そんな人におすすめです。