不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ラナーク/アラスター・グレイ

ラナーク―四巻からなる伝記

ラナーク―四巻からなる伝記

 記憶を持たない青年ラナークは、都市アンサンクで友人を持ち、恋をする。だがやがて肌が角質化して竜になるという奇病と、うまく行かない恋愛に悩まされ、謎の口唇に呑み込まれて奇妙な施設に収容されてしまう。そこで《お告げ》の声は、ラナークに、彼がダンカン・ソーという人物であったと教え、スコットランドに住んでいたこの画家志望の少年のことを語り始めるのだった……。
 二段組700ページを超える大長編である。四巻から成り、三・一・二・四の順番で並べられる。第一・二巻は、ダンカン・ソーの物語であり私小説の色が濃く、アラスター・グレイの実体験がある程度反映または仮託されていると考えられる。しかし、ラナークの冒険または人生を語る第三・四巻は虚構の極みを行き、超現実的な出来事が多々起きるが、登場人物は誰もそのこと自体には驚かない。第一・二巻と第三・四巻では、全く違う話だと捉えてとりあえずは差し支えないだろう。
 20世紀世界文学の金字塔などと言われるとどうしても身構えてしまうが、本書はリーダビリティが終始一貫して極めて高く、素晴らしいエンターテインメントとしても読める。ストーリーラインは結構猥雑で、各エピソードは、それが現実的か超現実的かにかかわらず、事態にばっちり決着を付けるような展開をほとんど見せない。しかし実験小説というほどのこともなく、意味不明な状態には陥らないので、誰でも安心して読めるはずだ。特に、ファンタジーやSF、幻想小説に抵抗がない人は、本書に手を付けるに当たって何の気負いも必要ない。
 小説としての本書のテーマは、疑いもなく主人公(ラナークおよびソー)の愛情である。彼らの言動は、必ず愛情を動機としていることに注目して欲しいし、だからこそ我々は彼らに感情移入できる。また、その裏で、アラスター・グレイ自身が己の自意識や人格といったものを本書に叩き付け、刻み付けているような印象を受けた。普段はミステリ・SFといった娯楽小説ばかり読んでいる人間にとって、作者の自意識そのものが「読み応えのある」レベルにまで昇華された作品を読むのは、非常に新鮮な、そして刺激的な体験である。
 難しいことを考えずも楽しく読めるので、実は誰にでもオススメできる素晴らしい小説である。物理的に重いことだけが珠に瑕か。