不壊の槍は折られましたが、何か?

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夏の涯ての島/イアン・R・マクラウド

夏の涯ての島 (プラチナ・ファンタジイ)

夏の涯ての島 (プラチナ・ファンタジイ)

 実に静かな筆致が印象的なSF短編集である。叙情系SFとまでは断言しきれないが、構築した《架空の世界》の解説よりも、そこで繰り広げられる人生模様を濃やかに描くことに焦点が合わされる。畢竟、エンターテインメントとしては地味な印象が先行することになろう。だがこれもまた素晴らしいものなのである。
 各登場人物の心理は直接言及されて説明されるわけではない。情景やちょっとした行動から読者に推測させる手法が採用されている。人間ドラマに一応の起承転結がある物語が大半を占めるため、登場人物がどのような結論的アクションを起こしたかが最後にはわかるので、ここから遡って各場面での心情を推し量ることも可能である。ただ、こういう見事な書きっぷりを示す小説に対しては、やはりその場面場面で(叶わぬまでも)読解することに挑んでみたい。
 「帰還」は、宇宙でのある特殊な冒険に挑んだ男の、本人に記憶はないが何度目かの《帰還》を描く。妻子とのやり取りが主体を占め、地味ではあるがたまらなく孤独で、たまらなく物悲しい作品である。「わが家のサッカーボール」は、人間に様々なモノへの変身能力が備わった世界における、ある一家の生活を少年の視点から描く。寓話性は所収作品中これが一番高く、ケリー・リンクが書いた最も理解しやすい作品、と言われたら信じてしまいそうな感じではある。「チョップ・ガール」は大戦中のイギリス空軍において、一種のジンクスを体現する男と女の物語(といってもありきたりな恋愛関係ではない)で、普通小説に近く、そこはかとなく薫る感傷性と諦念がたまらなく芳しい。戦争の持つ狂騒的な側面が抑えられているのも特徴だろう。続く「ドレイクの方程式に新しい光」は、生涯をかけてSETI(地球外知的生命体探査)をおこなった老齢(初老?)の科学者の話で、詰まった情報量と高貴な感傷性から行けば、川端裕人「せちやん」の超アップグレード・ヴァージョンと断じて差し支えない。
 続く「夏の涯ての島」以降が本書の白眉である。「夏の涯ての島」は歴史改変小説で、1940年、イギリスがヒトラーを思わせる独裁者に支配されており、その独裁者と若い頃同性愛関係を結んでいた老歴史学者が、彼に関する思い出を静かに語る。独裁イクナイ、戦争反対と声高に叫ぶのではなく、しかし無論それらを肯定するわけでもなく、落ち着いた挙措で、丹精込めて老学者の性格、そして歴史や人類への諦念をを浮き彫りにする。倦み疲れたようでいてどこか透明な、懐古的な情緒がたまらない逸品だ。
「転落のイザベル」と「息吹き苔」は、《一〇〇〇一世界》ものとして世界観を一にしている。ただし宇宙の各所に人類が進出している、という世界設定であり、各編で舞台となる星が違うので、テーマや筋立ては別物である。前者「転落のイザベル」は、世界の中心の絢爛たる惑星での、少女の悲劇的伝説を描いたもの。起きていることは収録作品中だと確実に一番派手で、主人公の少女イザベルも活発である。だがその活発性ゆえに悲劇に陥る点は、マクラウドの作家性を示しているようだ。
 後者「息吹き苔」は、辺境惑星での少女ジャリラの成長を描く。「成長」と言っても、輝かしい未来に向かって能天気に出発するような話ではない。そこには苦しい葛藤も悲しい別れもある。未来への不安もあれば悩みもある。これらの後ろ向きの情感がより強く感じられるのは気のせいだろうか。また、先述のようにマクラウドは、ジャリラその他の登場人物の心情を直接わかりやすく提示することはなく、それが作品から読みやすさを奪うと同時に、読み応えを提供している。解説には「マクラウドのスタイルのひとつの到達点」とあるが、全くその通りだと思う。女性が大半を占め、男性はほとんどいないという《一〇〇〇一世界》の設定がうまく活用されている点にも注目したい。
 確約するが、本書に収められた作品は、とても繊細であり極めて美しい。微細なところを狙って書かれているので、魅力をなかなか言葉にしづらく、無念である。本来の意味での《佳品》として、最大限の賛辞を送りたい。