不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

書評ねえ……。

http://d.hatena.ne.jp/m_tamasaka/20080104/1199387682
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20080111/1200025863
 太古の昔より、「作家のやる気を殺ぐレビューはやめろ」と「レビューは作家じゃなくて読者のためにやるものです」という意見は対立してきたんですが、個人的には断然後者を支持します。
 理由は以下のとおり。

  • レビューを読むのはまず読者。
  • 誉めるだけでは参考にならない可能性もある。
  • 的外れと感じたら、誰でもレビューを批判して構わないし、実際いくらでもできる。
  • たとえ批判レビューで作家が一人潰れても、他に作家はいくらでも……。(←ヲイ)

 しかし、当該レビューの質が低かった場合はもちろん、読者の嗜好(例:オススメだけを知りたいのであって、批判意見は聞きたくない)によっても、レビューが読者の参考にならない状況に陥ります。それもかなり頻繁に。結局、小説と同じで、レビューもまた「作品」の一つであり、作り手側の意図や満足感とは無関係に、受け手側(しかもその個々人)から千差万別の評価を受けざるを得ない、ということなのかも知れません。自分の「作品」の質を決める権限は自分にはない(という意見もかなりあるはず)、ということも事態を複雑にしています。
 であれば、作家もレビュアーも、できることは限られていて、自分の「作品」を質を高める不断の努力を自分自身で続けねばならないし、更にそのうえ「読者」という謎の存在との苦闘を強いられるわけです。「読者」の言うことの全てを真に受けるのか、一部を自分で取捨選択して取り入れるのか(明示的にか/黙ってやるのか)、全てを「無責任な読者野郎の勝手な放言」と片付けるのか(参考にする素振りだけはするのか/それすらしないのか)。全ては「作り手」自身に委ねられています。
 なお、批判レビューは確かに劇薬であり、作家・編集者・出版社に対しては負のインパクトしか与えないのも間違いありません。ここだけはくれぐれも注意せねばならないと思っています。まあそれでも我慢できないときはあるんですけど、せめて《ジャンル世界》全体に迷惑をかけるような批判はしないようにしたいですね。『半落ち』読んで「これを認めるミステリ業界はどうなっとるんじゃ」と言ったあの女は明確にアウトでしょう。