不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

残虐行為記録保管所/チャールズ・ストロス

残虐行為記録保管所 (海外SFノヴェルズ)

残虐行為記録保管所 (海外SFノヴェルズ)

 2編の中編により成る。
 数学者チューリングの理論によれば、平行宇宙から魔物めいた何かが侵入してこの世に恐ろしい災厄をもたらす可能性があるらしい。第二次世界大戦と前後して、実は英米そしてナチス・ドイツはそれぞれにこの災厄の防止を目的とした秘密機関を立ち上げていた。英国におけるそれは《ランドリー》と呼び習わされている。そして第二次世界大戦後、ドイツにおける研究は英米によって凍結されたかに見えた……。
 時は移り、現代。学生時代にひょんなことからこの魔法理論に気付いてしまい、危うく自分の街を破滅させかけたボブは、半ば強制されて《ランドリー》のエージェントになっていた。
 最初の中編「残虐行為記録保管所」は、ボブの最初の仕事を描く。米国からの帰国を望む赤毛の美人教授モーとの接触であった。彼女は自覚なしにチューリング理論に関する新手法を編み出してしまい、アメリカ当局や中東テロ組織から目を付けられ、おまけに背後にナチス・ドイツの残党がちらつき始めたのである。
 続く中編「コンクリート・ジャングル」はヒューゴー賞受賞作で、牛の不可解な死から始まった事件が《ランドリー》を揺るがす一編だ。
 クトゥルー+SF要素+スパイ・スリラー、という結構な無茶をやる小説で、しかもこの3要素の比率配分はほぼ等しいのだ。結果、作品はかなりゴテゴテして来るが、不思議と読みにくくはなく、独特かつ詳細な世界観とスピーディーな展開を十全に楽しめる。主人公その他登場人物の言動がユーモラスであることも読みやすさを高めており、硬直化した官僚機構の活かし方など、設定をなかなかうまく使って読者を飽きさせない。また、2作品で微妙に色合いを変えているのも興味深い。「残虐行為記録保管所」は英米の微妙な同盟関係を中盤のテーマに据えつつも、SF設定の(割と)きめ細かい説明や魔物のおぞましさが前面に出て来るなど、原則としてはSFホラーと言える。一方「コンクリート・ジャングル」は、スパイ・スリラーの醍醐味である権謀術数が作品で炸裂し、いずれも非常に面白く読んだ。劇性も目覚しい良質のエンターテインメントであり、楽しく読める人は多いはずである。
 なお、ミステリ・ファンの一人として、著者あとがきで、レン・デイトンジョン・ル・カレへの敬意を顕わにするストロスに親近感が湧いたことを付記しておきたい。