不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

不確定世界の探偵物語/鏡明

不確定世界の探偵物語 (創元SF文庫)

不確定世界の探偵物語 (創元SF文庫)

 ハードボイルドと時間SFが融合した連作短編集である。と同時に切ないラブストーリーでもあって、後半ではこれがかなり強調されることになる。主人公ノーマンの造形は、ロスマクほど観察者に特化しないのはもちろん、ハメットほど冷徹ではなく、チャンドラーほどカッコいい(またはカッコを付ける)わけでもない。リューインほど情けなくないし、無論、他の作家のように浪花節を炸裂させたりもしない。適度にタフで、適度に弱く、そして皮肉な冗談が得意だが、饒舌ではなくかと言って寡黙でもない。そして要所で感傷に浸ることもあるのだ。ハードボイルドの私立探偵としてはバランスが取れた造形といえるだろう。
 SFとしては、パラレル・ワールドの存在を前提としていないというか、過去を改変した場合に世界が分岐しないという形態を取っているのが興味深い。過去の改変の影響は、ダイレクトに現在に生きている目の前で事物が変化するという形で表れる。実際、目の前で人の顔が変わったりします。最近の時間SFはパラレルワールド制を採用するのが通常でなので、あくまで時間線は一本しかないという本書の作品世界は逆に新鮮に映った。また、時間SFであるにもかかわらず主人公は首尾一貫してずっと現在にとどまり、彼自身がタイムスリップをするわけではないのも珍しい。過去を改変するのは、主人公の時代にあってタイムマシンを唯一所有し、ゆえに神の如く世界に君臨するエドワード・ブライスだけである。ハードSFであれば相当に筆を割くだろう時間遡及の手法・理論・実態を、ブライスは完全にブラックボックス化しており、主人公ですらこの時間遡及の実態を知ることはできない。登場人物たちは、そしてこの作品世界で生きる全人類は、目の前で生じる「世界の変容」とただただ折り合いを付けながら、日々を送ることになる。
 ただし「世界の変容」はそこまで壮大なものにはならない。過去の実例として、最も大きな影響は、ある都市で町並みが変わった程度のことだと語られる。作品内で実際に出て来るのは、依頼人の顔が変わったり、数年前に殺された被害者がある日普通に生きているのが発見されたり(このため犯人が殺人を犯していないことになり、釈放されてしまう)といった程度のことであり、この中でSFミステリをやる程度の最低限の基盤は十分に保たれている。このミステリ部分、意外とよくできていて面白く読めた。なお、主人公は、現実が簡単に変容するこの世界で私立探偵は必要とされない職業である旨、自嘲的に述べるが、現実がそこまで揺らぐわけではないたちょっと得心が行かなかった。まあここら辺は私立探偵一流の韜晦といったところか。
 というわけで、SFにもハードボイルドにも抵抗がない人は、合わせ技を楽しめるだろう。なお、恋愛面でもSF面でも、短編集に見せかけておいて実は長編であるという構成が効果を挙げており、心憎い限りである。