不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

人形が死んだ夜/土屋隆夫

人形が死んだ夜

人形が死んだ夜

 土屋隆夫が90歳にして発表した長編ミステリである。
 温泉を訪問中だった少年・咲川俊がひき逃げされた。父親が不明なまま彼の母も既に物故しており、代わりに彼を育てた祖母と叔母が寂しく見送る。だがその叔母・紗江は、俊の死に様に不審なものを嗅ぎ取り、第一発見者で俊を介抱したという南原という男に不信感を抱く……。
 出生に特殊な事情があるらしいが、素直に育った少年が無情にもひき殺される――そんな冒頭。彼の叔母の執念。事件を捜査する刑事の実直さ。ここら辺は完全にいつもの土屋隆夫で、非常に嬉しく思った。
 とはいえミステリ的には、さすがに巧緻で緊密な構成とは行かなかったようだし、興味深いトリックが使われるわけでもない。全体的には、以前の「短編を書く際の土屋隆夫」が前面に出ているような印象を受けた。過去、土屋隆夫は長編の場合、アリバイ崩しを主体とした堅牢な本格ミステリを書いていたが、短編においては犯人視点から事件の一部始終を描いて人間のイヤな面、そして悲しくて虚しいけれども意外に人間っていいものかも、という面を描くことがあった。『人形が死んだ夜』は、ミステリ的な骨格は弱いものの、全編がイヤ話っぽくていい感じに読め、ゆえに「短編の持ち味の方がよく出ているな」と思った次第である。ただし、決して「短編を長編に水増ししたな」と思っているわけではない。プロットが変化にも富み、三回大きく転換するので、単調な一本道の小説にはなっていないのである。さらに、真相を覆い隠すために犯人がとった処置、あるいは少年の最期を看取ったという南原に疑いを持つきっかけも、うまく提示されている。台詞回し等々から判断すると、本書は21世紀どころか平成の小説とすら感じられず、若い世代で土屋隆夫を読んだことがない人にはちょっとおすすめできない(誤解される可能性が高い)が、既知のファンは面白く読めるだろう。
 そして本書のキモは何と言ってもラストにある。齢90にして書かれた作品であることに鑑みれば、ラストの状況は読者にとって真に感慨深いものがあるだろう。老い・衰え、その中での夫婦愛、忍び寄る死。ここら辺は恐らく老人にしか書けない部分であり、『天狗の面』から本当に50年経っていることを痛感させられる。そして、このある種の《虚しさ》を描くがために、本書は書かれたのかも知れないと感じた。土屋隆夫ファンは必読であろう。