不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

鯨の王/藤崎慎吾

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 深海で生活し浮上する必要がない新種の巨大クジラ(体長60メートル!)ダイマッコウと人類の邂逅を描く巨編。
 ダイマッコウの水中呼吸および攻撃メカニズムの説明は甘く、イルカの脳を回路に組み込んだ潜航艇もメカニズムの解説がさらりと為される程度であり、SF作家としての腕の振るい所で精彩を欠く。登場人物造形もかなり類型的であるうえ、せっかく設定した各人の《事情》への踏み込みが浅い*1。またこの作家は作品において物事を主情的に認識することが特徴で、かかるがゆえに『ハイドゥナン』で壮大なガイア論を採用したと思われるが、残念ながら本作においてはこの《情緒的なものの見方》がマイナスに作用している。ダイマッコウと人間の関係性を複数の科学者が情緒的に捉え、そればかりか行動に直結させさえするのは作法として安易だろう。また、テロ組織の動機付けは明確に否定しておきたい。
 しかし上記の短所にもかかわらず、そのダイナミックなストーリー展開ゆえに、『鯨の王』は素晴らしい娯楽小説たり得ている。クジラと原子力潜水艦の戦いや海底基地が襲撃されるシーンは手に汗握るし、巨大クジラが海を雄飛する情景はただそれだけで印象的だ。リーダビリティも高く、大規模な事態変動に加え、小イベント・小アクシデントを多発させて進むページターナーぶりも堂に入ったものである。『鯨の王』は、SFそのものではなく、お伽話としての海洋ロマンをSFの意匠を借りて21世紀に再現した小説なのであり、このように解釈すれば、先述の短所もある程度は肯定的に捉えられよう。物語のダイナミズムに酔いたい人にはおすすめ。

*1:別に登場人物に《事情》を設定するなと言っているわけではないが、設定した以上はその《事情》を人間描写のうえでフル活用すべきであり、あまり活用しない/できないならそもそも設定すべきではない。