不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

灯台/P・D・ジェイムズ

灯台 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

灯台 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 密かな高級保養所・カム島で、滞在客の世界的作家が変死体で発見される。島の灯台から首吊り死体で発見されたのだ。島には少数の滞在客と住み込みの従業員しかいない。首相はカム島での秘密会議を検討中であり、影響を恐れたスコットランド・ヤードは、地元の警察に任せず、アダム・ダルグリッシュ警視長、ケイト・ミスキン警部、フランシス・ベントン・スミス部長刑事の3名のみを直接派遣して捜査に当たらせる。
 原書は2005年に上梓された模様だが、この時点でP・D・ジェイムズは御年85歳である。では作品はユルユルなのかというとそうではない辺りが恐ろしい。もちろん、全盛期(70年代および80年代)に比べれば、物語は非常にシンプルになっているし、登場人物の描き込みも偏執的とまでは言えなくなっている。しかし、じっくり読める小説としての荘重さを出すには必要十分な描き込みがなされているし、全盛期の(ミステリ史上類を見ないほど)凝縮され切った緻密な筆致からの開放が、かえって作品に瑞々しさを与えているのは注目すべきだ。
 ただし、瑞々しい≠明るいであることには要注意である。島の滞在客と従業員は、そして3人の捜査陣も、それぞれに沈んだ物思いに耽る。生きている人間である以上、人生は楽しいばかりでも苦しいばかりでもあるはずがなく、また、目の前に《殺人事件》が立ちはだかったとしても、解決するまでそればかり考えているわけでもない。そのような当たり前のことを、緻密かつ格調高く描くことができたからこそ、P・D・ジェイムズは偉大な作家と称されたのである。85歳時に書かれた『灯台』もまた、まさにジェイムズが描いたとしか言いようがない作品だ。P・D・ジェイムズのファンには、安心しておすすめしたい。