不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

白楼夢/多島斗志之

 大正九年九月。海峡植民地、つまりシンガポールの日本人社会の顔役である、日本人青年・林田は、華僑の大富豪の娘・呂白蘭殺害の容疑をかけられ、警察と呂一族双方から追われる身となる。林田は、大正八年五月にシンガポールに初めてやって来て、早稲田の同窓だった呂一族の跡継ぎ・鳳生との交友、そして様々な偶然により、徐々に日本人社会の顔役のような存在となっていったのだが……。
 過去と現在のパートが交互し、過去のパートは、林田のシンガポール到着から呂白蘭の死まで、現在のパートは、呂白蘭殺害事件の顛末を扱う。しかも、現在のパートは、視点が三つに分かれる。林田/妹の敵と林田を追う呂虎生/植民地の刑事チャールズ・ケインが、交互に視点を担当して、白蘭殺人事件の謎を追うのである。
 というわけで構造自体はそれほど単純ではないのだが、文章が相変らず全く慌て騒ぎのなく、非常に読みやすい。読者が混乱することはまずないだろう。そしてこの文章自体が本当に素晴らしいもので、登場人物の感じているであろう激しい情動、起きている事態の狂乱っぷりに直接影響されることなく、筆致はあくまでも、徹底的に淡々としている。そして、先述の若干複雑な構造と相俟って、1920年代におけるシンガポール、マレーシアの、隠された真実を、冷静に描き出してゆく。
 興味深いのは、名の付く登場人物が全員、日本人・華僑・英国人・インド人のいずれかであること。もちろん皆、民族的にはマレー半島に由来する出自ではない。そもそも華僑を除けば、マレー半島で生まれてすらいないのだ。そしてその事実が、1920年代が生き馬の目を抜く、帝国主義の時代であったことを表している。そして、それがイギリス支配のみによって表されていないところに、帝国主義そのものの黄昏が暗示されている。
 しかも嬉しいことに、ミステリとしての完成度も非常に高い。読みやすくて時代の描出も完璧な、傑作といえよう。表現方法が派手ではないので、地味な印象を持たれるかも知れないが、強く、そして広くおすすめしたい。