不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

擬態/ジョー・ホールドマン

擬態―カムフラージュ (海外SFノヴェルズ)

擬態―カムフラージュ (海外SFノヴェルズ)

 2019年、海洋工学の専門家ラッセルのチームは、太平洋の深海で発見された謎の人工物の調査を依頼される。その物体は百万年以上も海底にあったと推測され、既知のどんな物質よりも重いばかりか、傷ひとつつけることすらできない……。一方、百万年前にM22星団から地球に来訪した《変わり子》は、その記憶が徐々に薄れゆく中、さまざまな海洋生物に変身して過ごしていたが、1931年、はじめて陸にあがり、以降を基本的には人間として過ごす。そして地球にはもう一体、長命の異星生命体《カメレオン》が存在した。ラッセルのチームが調査する謎の物体発見のニュースが世界に流れ、《変わり子》と《カメレオン》は、それぞれにその物体に近付こうとする。
 『終りなき戦い』『終わりなき平和』における思弁性*1は見られない。代わりに『擬態』は、地球におけるエイリアンの活動を巧みなストーリーテリングで読者の前に活き活きと提示する。もちろんこれには副作用があり、《変わり子》は、地球人類と全く異なる生命体であるにもかかわらず、段々人間臭くなってくるし、《カメレオン》も妙に典型的な邪悪さを備えてしまうのだ。さらに、地球人科学者ラッセルに視点が移るパートも、どうにも通り一編の内容しか持たないうらみがあり、人間ドラマ(というか知的生命体ドラマ)としては若干物足りない。そして、SFとしての基本アイデアにも、目新しさは見受けられないのである。
 しかしリーダビリティは高く、ラッセル・《変わり子》・《カメレオン》の視点を交互させて読者を飽きさせないし、サスペンスも徐々に盛り上げて大したページターナーぶりを発揮する。さすがベテランであり、サクサク読める娯楽小品として、堅実な仕事ぶりをしっかりと評価されるべきだろう。
 以下は蛇足。先に、『終りなき戦い』『終わりなき平和』における思弁性が失われていると書いたが、かの名高い2作において追求されたテーマが掻き消えたわけではない。『擬態』では、それらのテーマが、作中での前置きなしに、そのままポッと提示されている。ホールドマンの視線の先にあるものは、恐らく何も変わってはいないのだろう。

*1:それほど強いものではなかったが、いい感じで話を締めていた。