不壊の槍は折られましたが、何か?

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人柱はミイラと出会う/石持浅海

人柱はミイラと出会う

人柱はミイラと出会う

 この連作短編集における日本には、奇怪な風習が紛れ込んでいる。たとえば、日本には《人柱》という職業があるというのだ。
 ある程度以上の規模の建築工事をおこなう場合、その土地の神様に対して担保を差し出さねばならない。それが《人柱》である。といっても昔のように死なねばならないわけではない。基礎工事において作った地下室に《人柱》は閉じ篭り、竣工までそこで生活するのだ。ほとんど宗教的儀礼に従事する職業であるためか、彼らはより神に近い存在とされるが、世襲したり、特段の厳しい研鑽を積む必要はないのである。
 上記《人柱》を一例として、全7編いずれも、日本的要素が奇妙にデフォルメされ、物語におけるキーとして機能する。ただし、後出しジャンケンのように後から際限なく変な設定を繰り出して、ミステリとしての論理的な帰結を危殆化することはない。特殊設定は、ミステリ的な謎かけが全貌を現す前に明示されており、おまけに、当該特殊設定を除けば、作品世界における日本は現実世界における日本とほぼ同一である。フェアプレイに徹した作劇といえよう。
 そして肝心の、本格ミステリとしての内容だが、これが本当に素晴らしい。石持浅海は、持ち前のロジック構築能力を遺憾なく発揮しており、特に表題作と「黒衣は議場に消える」「お歯黒は独身に似合わない」の3作においては、もはやチェスタトン泡坂妻夫ばりのツイストすら見せる。おまけに、提示されるロジックは、この特殊設定がなければ成立しない類のものなのだ! 設定と論理の幸福な融合に、私は非常な感銘を受けた。
 というわけで、本年度の本格ミステリ首位の座を『首無の如き祟るもの』と争うかと思われたのだが……。最後の2編の出来が非常に残念であった。「ミョウガは心に効くクスリ」や「参勤交代は知事の務め」における特殊設定は、現実の日本においても同種の企みはいくらでも可能なので、全く意味がない。また、特殊設定云々を度外視したとしても、この2作で展開されるロジックは、あまりにも牽強付会に過ぎる。これではもはや単なるこじつけ、しかも最後の2編なので、一冊の短編集全体の印象にも悪影響を及ぼしている。最初の数編は傑作であるだけに、残念でならない。