不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

目くらましの道/ヘニング・マンケル

目くらましの道 上 (創元推理文庫)

目くらましの道 上 (創元推理文庫)

目くらましの道 下 (創元推理文庫)

目くらましの道 下 (創元推理文庫)

 夏の休暇が近付き、浮き立つヴァランダー警部であったが、緊急通報で駆け付けた花畑で、身元不明の少女が焼身自殺を遂げる。目の前で展開した凄惨な光景にショックを受けるヴァランダー。しかし息つく間もなく、元法務大臣が斧で殺され、頭皮を剥ぎ取られたとの通報が舞い込む。しかもこの元法務大臣の死は、連続殺人の幕開けに過ぎなかったのだ……。
 『目くらましの道』を含めたヴァランダー・シリーズは、最上質の警察小説であると共に、素晴らしい社会派ミステリである。ただし、社会派ミステリといっても、特定の団体や社会階層・政治思想を声高に指弾する浅薄なものではない。作者の筆はあくまで抑制が利いており、主人公や作者自身の信念が強烈に打ち出されることなどない。このシリーズにおいて、社会的な問題は、目の前の事件に対して主人公が抱く、《世の中、何かがおかしくなって来ている》というやや漠然とした不安感という形で提示されるにとどまる。この提示の仕方が絶妙であるとともに、ヴァンランダーが非常にニュートラルな男であることもあって、社会派小説の割には、テーマについてほとんど反発を食らわないのではないか。ヘニング・マンケルは、安易な《解決》を社会にもたらしはしない。その方法を提示することもない。そして、主人公たちは、心に忘れがたき記憶を刻みつつも、それでもなお、老父や娘、そして恋人と仕事の日常へ戻ってゆく。そう、社会問題に触れた後の我々の大多数のように。
 『目くらましの道』は、そんなこのシリーズの(既訳分における)最高傑作である。特徴を一つだけ挙げておこう。それは、タイトルが最後に強い印象を残すということである。とにかく読んで欲しい一作だ。強くお薦めしておきたい。