不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ハンニバル・ライジング/トマス・ハリス

ハンニバル・ライジング 上巻 (新潮文庫)

ハンニバル・ライジング 上巻 (新潮文庫)

ハンニバル・ライジング 下巻 (新潮文庫)

ハンニバル・ライジング 下巻 (新潮文庫)

 1941年リトアニア。城に住むレクター伯一家は、独ソ開戦を受けて森の中の狩猟ロッジへ避難する。だが、3年半後、彼らは戦闘の巻き添えを食らって全員死亡する。12歳の子息ハンニバルとその妹ミーシャを除いて。だが、その悲惨な夜、兄妹の隠れるロッジを飢えた対独協力者が襲い……。終戦後、孤児院で物言わぬ日々を過ごすハンニバルを、パリに住む叔父ロベールが引き取る。ロベールの妻は日本人女性の紫であった。美しい叔母・紫に日本の美意識に基づいた薫陶を受けるハンニバルは、しかし徐々に怪物としての性格を明らかにしてゆくのだった。
 上巻の巻頭に宮本武蔵筆の《枯木鳴鵙図》が掲げられ、早速暗雲が立ち込める、怪物レクター博士の若年時代を描く作品。テイストは非常にライトで、レクターの無感動な冷たい人格さえなければ、至極普通のあっさりとした復讐譚でしかない。日本云々については、

 紫夫人の名は、世界最初の偉大な長編小説である『源氏物語』の作者、紫式部に由来する。本編における紫夫人は小野小町を引用し、与謝野晶子の歌を心の中で聞く。彼女とハンニバルの別れは、『源氏物語』にその雛形がある。

 という、トマス・ハリスのあとがきをもって全ての感想としたい。トレヴェニアンの『シブミ』まで突き抜けていたら、大絶賛したんですけどねえ……。
 肝心のハンニバル・レクターの描写については、今回は薄過ぎると断じざるを得ない。同人誌を読んでいるような気分を、最後まで拭うことができなかった。『ハンニバル・ライジング』に比べたら、『ハンニバル』は本当に強烈だったのだなあと。わかりやすい《人間味》をほとんど与えなかったことにのみ、トマス・ハリスの残滓を見る。
 軽く読む分には問題ない小説であるが、ハンニバル・レクターが誰だか知らないと、読みどころを探すのに苦労するだろう。こういう言い方はアレだが、薦め勝手も極めて悪い小説である。