不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

春を待つ谷間で/S・J・ローザン

春を待つ谷間で (創元推理文庫)

春を待つ谷間で (創元推理文庫)

 ニューヨークを離れ、田舎町で起きる絵画盗難と、富豪の一人娘の失踪を描く。舞台がニューヨークではなく、それどころか都会ですらないのが、物語の質感に大きな影響を及ぼしている。
 このシリーズでは、ニューヨークを舞台とした作品でも、人々の付き合い方は都会によくある冷たいものとは言い切れず、友人知人同僚としての連帯感をある程度感じさせるものになっているが、本作においてはそれが更に強化されており、なかなか興味深い。
 ただし、著名画家(隠遁中)と地元巨大企業の経営者という、事件における二大焦点人物には、つまり事件そのものには、都会的なものの影が差す。前者には過去の作品により都会で得た名声が、後者には都会に商品を供給する自らの事業とその利権を狙うギャングが、影となって追いすがる。これらは即ち、都会の影とも換言できるはずだ。都会は、そこから去った画家を本当には逃がさない。都会へ影響を与えかつ与えられる実業家をも逃がさない。つまり田舎もまた、都会から何らかの影響を受けずにはいられないわけで、シマックがSF『都市』で示したように、人類を都会から田園へ解放することは、現今ますます困難になっているようだ。
このように考えると、リディア・チンが、都会からビルを助けにやって来るのも、非常に興味深く映ろう。リディアの本格的な登場がかなり遅い点、および、いつにも増して事件関係者の《肉親の絆》がクローズアップされる辺りも、都市と田舎を比較検証する思索の対象としては面白いはずだ。
 まあでも、探偵コンビの活躍と波乱に満ちた展開は、ただそれだけで十分に面白い。結局これが一番重要なのである。というわけで、水準維持も素晴らしい、名シリーズの好編といえよう。