不壊の槍は折られましたが、何か?

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夜は短し歩けよ乙女/森見登美彦

夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女

 「黒髪の乙女」たる後輩に一目惚れしてしまった「先輩」。両者の一人称が交互して、「先輩」の恋の行方と、奇天烈な登場人物たちが織り成す無茶苦茶な事件×4を描く。
 傑作。素晴らしい。私はこれまで、森見登美彦の本質を「怨念の篭もった妄想力」にあると見ており、「環境起因か加齢起因かはともかく、心情的に落ち着いて人格的に老成したら、彼は作家として終わるのでは?」などと彼の将来を不安視していたのだが、それは間違いであることが判明した。というわけで、紛れもない歓喜に打ち震えながら、私はこの見解を差し替える。彼の本分は「妄想力」そのものであったのだと。
 『夜は短し歩けよ乙女』の基盤には、主人公の悶々とした思念があるわけだが、それは自意識や恋愛感情そのものによる屈折であって、ルサンチマン等の負の感情には基づかないのだ*1。そして、恋愛劇を隅に追いやらんばかりの勢いで、幻想的・狂騒的かつネアカな展開の数々が読者を翻弄する。おもちゃ箱をひっくり返したような作品といえ、読んでいると本当に楽しい。延々と続く呑み屋のハシゴ、古本市、学園祭に風邪の流行と、京都の町は今日もまた大変素晴らしいのであった。そしてその間隙を縫うように、絶妙な感傷が僅かに流れるのである。
 確かにこのヒロイン像は一部では顰蹙を買うかも知れない。だが、ハチャメチャな大騒ぎはそんな些末事など押し流す! 四の五の言わず存分に楽しみたい、森見登美彦の最高傑作である。既往作のルサンチマンが気になった人も是非是非。

*1:正確に言うと、あるにはあるが、主人公はそれに支配されていない。