不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

マルドゥック・ヴェロシティ/冲方丁

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)

 ここしばらく、文芸アシスタント云々で、冲方丁に抵抗感を覚えていた人が多かったはずだ。私も、彼が広告代理店か何かに洗脳されているとの疑いを未だに消すことができない。その他、イベントに疎い私にすら届く、粋がった発言の数々。勘違いした作家の末路は、ある程度予想は付く。私は危惧していた。彼の作品の質は今後確実に低下してゆくのではないか、と。
 しかし、『マルドゥック・ヴェロシティ』は、その不安を吹き飛ばして余りある。そう、その意味で、賛辞と自意識を込めてこう言おう。悔しいが面白い。
 エルロイ風のジャズ文体、山田風太郎忍法帖風の戦闘、ダース・ベイダー誕生譚のような展開……といったように、アイデアの元ネタが見え過ぎるきらいはある。しかし、冲方なりに実に良く咀嚼しているため、違和感がないばかりか、物語の全要素とがっちり噛み合っている。素晴らしい。そして物語は、暗黒を目指し、悲しみと虚しさを抱えつつ、最初は徐々に、最終的には苛烈に疾駆する。核心へ向けて次第に精度を高める物語はまさに圧巻。
 残念ながら、『マルドゥック・スクランブル』のカジノに紛れもなく降臨していた《小説の神》は、ここにはいない。神の降臨は、一作家に、こんな短期に再び訪れるものではない。定命の者が複数回経験すべきものですらなかろう。しかし、あれが例外の中の例外であったことは、普通の人間であればわかるはずだ。そのカジノを別とすれば、『ヴェロシティ』は『スクランブル』を、全ての面で超えたと断言できる。文体に馴染むには若干の時間が必要であり、実際、私も最初は戸惑ったが、そこさえクリアすれば、後は一気の大傑作である。
 というわけで、結局、作品の質は(当たり前だが)その作品の質によってのみ担保されるのである。作家に対して私がどのような違和感や抵抗感(親近感や仲間意識にしても、結局は同じことだ)を覚えていようが、傑作は傑作であり、駄作は駄作なのだ。読者側の勝手な思い込みと、くだらない自意識こそ唾棄されねばならない。「悔しいが面白い」などと感じるようでは駄目なのである。そのことに、改めて気付かせてくれた作品であった。