マルドゥック・ヴェロシティ/冲方丁
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しかし、『マルドゥック・ヴェロシティ』は、その不安を吹き飛ばして余りある。そう、その意味で、賛辞と自意識を込めてこう言おう。悔しいが面白い。
エルロイ風のジャズ文体、山田風太郎の忍法帖風の戦闘、ダース・ベイダー誕生譚のような展開……といったように、アイデアの元ネタが見え過ぎるきらいはある。しかし、冲方なりに実に良く咀嚼しているため、違和感がないばかりか、物語の全要素とがっちり噛み合っている。素晴らしい。そして物語は、暗黒を目指し、悲しみと虚しさを抱えつつ、最初は徐々に、最終的には苛烈に疾駆する。核心へ向けて次第に精度を高める物語はまさに圧巻。
残念ながら、『マルドゥック・スクランブル』のカジノに紛れもなく降臨していた《小説の神》は、ここにはいない。神の降臨は、一作家に、こんな短期に再び訪れるものではない。定命の者が複数回経験すべきものですらなかろう。しかし、あれが例外の中の例外であったことは、普通の人間であればわかるはずだ。そのカジノを別とすれば、『ヴェロシティ』は『スクランブル』を、全ての面で超えたと断言できる。文体に馴染むには若干の時間が必要であり、実際、私も最初は戸惑ったが、そこさえクリアすれば、後は一気の大傑作である。
というわけで、結局、作品の質は(当たり前だが)その作品の質によってのみ担保されるのである。作家に対して私がどのような違和感や抵抗感(親近感や仲間意識にしても、結局は同じことだ)を覚えていようが、傑作は傑作であり、駄作は駄作なのだ。読者側の勝手な思い込みと、くだらない自意識こそ唾棄されねばならない。「悔しいが面白い」などと感じるようでは駄目なのである。そのことに、改めて気付かせてくれた作品であった。