不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ブラバン/津原泰水

ブラバン

ブラバン

 現在は赤字続きの呑み屋を営んでいる他片等(たひらひとし・40歳)は、高校時代、吹奏楽部でコントラバスを弾いていた。そして今、同級生の一人が結婚することになった。彼らは、当時の部員で有志を募り、その式においてブラスバンドを復活させようとする。必然的に、他片の想いはあの頃へ飛ぶ……。
 80年度入部生が40歳を迎えた《現在》と、高校生活における吹奏楽部での活動という《過去》により構成される作品。《現在》と《過去》ではっきりパートが分かれているわけではない。同じ章の中でも時間は軽やかに飛び去り、あるいは跳ね戻る。ただし決して読みにくくないのは、物語の基本線が《現在》と《過去》でぶれていないからである。より正確に言うと、これは、《過去》があくまでも《現在》に基づく回想に過ぎないからである。
 《過去》のシーンは生々しい。津原泰水は青春を鮮やかに甦らせるが、その視線も手並みも徹底的なまでに愚直だ。「あの頃は良かったなあ……」という懐古的情感、記憶の結晶化は全くない。高校生時代にも良いこと嫌なことがいっぱいあった。そのことを語り手と作家は見据えている。そして同じくらい生々しい《現在》が主人公たちの前にあり、それを見詰める語り手の視線、つまりは津原泰水の創作スタンスもまた、《過去》に対するときと全く変わらないのだ。この話は、懐かしい部活小説に見せかけて、とてもシビアな物語でもある。ビタースイーツですら、ひょっとするとないかも知れない。
 広島弁がじゃかすか出て来る点も、生々しさを一層高める。方言で書かれた小説には限界があるとの暴論を吐く読み手は後を絶たないが、『ブラバン』に限ってそれは一切ないことを保証したい。
 そして、物語から燻り出されるのは、《過去》と《現在》に共通する登場人物たち(欠けはある)の、内外両面で変わった部分と変わらない部分、人によってその割合もまちまちであること、音楽の魅力、しかしそれすらも遥かに、そして圧倒的に凌駕して、時は流れるということなのだ。
 というわけで大傑作である。私個人は泣きはしなかったものの、泣いている読み手は多い模様で、それもむべなるかなと思わせられた。ミステリマガジンにおける、読者に対する我孫子武丸の中傷など一切通用しない、本当に素晴らしい読書体験がここにある。お薦めです。