不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

火刑都市/島田荘司

火刑都市 (講談社文庫)

火刑都市 (講談社文庫)

 再読。
 島田荘司の中で、私が一番好きな作品。本格ミステリー宣言以降、鬼面人を驚かす幻想的発端のみを島田荘司の特徴と捉えている人は少なくないが、彼は断じてそれだけの作家ではなく、もっと静かに筆と物語と登場人物を動かし、落ち着いた作品をものすこともできるのだ。『火刑都市』はその不滅不朽の成果である。
 昭和57年12月1日、東京四谷の雑居ビルで放火があり、その詰所にて若い警備員が焼死する。彼は眠っていたとしか思えず、魔法瓶からは睡眠薬が検出される。少々不審であり、しかも中村刑事の捜査により、彼は素性のよくわからない美人と同棲状態にあったことが判明する。だがこの女は既に消えていた。彼女の行方を追う中村だったが、捜査本部の雰囲気は、警備員の死そのものに事件性はなく、放火にたまたま巻き込まれただけだろう、という方向に流れてゆく。そして、赤坂で次なる放火事件が生じ、現場には《東亰》という謎の文字*1が残された……。
 物語の中では誰も直接明言しないものの、東亰が東京を時を越え侵略する、という幻想的なイメージが遠景に控えており、そしてそれは東京という超巨大都市の持つ冷たさ・厳しさ・隠れた不毛さに起因するというテーマ設定が実に素晴らしい。消えた女性を追う前半部分は宮部みゆきの『火車』を思わせる(キャラは薄いが執念の捜査を見せる中村もいい味を出している)し、彼女が現に登場する後半においては、半ば社会派的なテーマ性が明快に打ち出されつつも、彼女の人物像が非常に印象的に立ち上がっており、人間描写としての完成度と深度は、島田荘司においてすら再到達困難なレベルではないか。「こいつはこういう奴だ」という直接的な言及があまりなされないのも高ポイント。最後の告白が、見解を一方的にまくし立てることができる書簡ではなく、中村との対話によって点描的かつ象徴的に触れられてゆくのも素晴らしい。「数字錠」(事件本体ではなくラストの御手洗の発言に色濃く漂うアレ)のような余情も最高。
 というわけで、本当に味わい深い傑作長編。御手洗潔とかレオナとか吉敷竹史といった、ひょっとすると気が狂っているのですかという方々が主役を張る作品には存在しない、落ち着いた質感がたまらない。ガジェット偏重型の本格にしか興味がない人に読めとは言いません。だがしかし、《大事件》と称されるような大袈裟なところのない、地味とまで言える謎と解決の中に何かを読み取れる、或いは読み取ろうとすることができる読み手には、広くお薦めしたい。

*1:当時、小野不由美はおらず、この言葉はミステリ村内ではそれほど知られていなかったことに注意する必要はあろう。恐らくこの言葉、今でもミステリ村外では、歴史研究村を除きメジャーではなかろうし、少なくとも「数字錠」のアレよりは謎として機能する可能性は高い。