不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

銀と青銅の差/樹下太郎

 株式会社楡製作所の社章は、課長以上の職級社員は銀、それより下の社員が銅、という方式を取り入れていた。銅の者は銀を目指して刻苦精励する……しかし、高度経済成長の渦中、業容が拡大するにつれ様々なタイプの社員と人事異動がおこなわれるようになった。尾田竜平は、大した仕事上の不手際もないまま、仕入課長代理(銀)から営業部員(銅)への異動を命ぜられる。しかも営業で彼を待ち受けていたのは、女性社員でもできる事務仕事*1であり、彼は屈辱に塗れ、専務への怨念を募らせる。一方、尾田の同期の大江明は、商業美術の道を片手間にやりたいがゆえ、銀の職級には登りたくなかった。しかし年功序列、そして専務はそれを許してくれない……。
 かくして、会社に渦巻く複雑な人間関係が、人死にを惹起するのだった。
 物語の各所で、時代性もたっぷり含んだサラリーマンと会社人間の悲哀が描出され、実に味わい深い一品となっている。ミステリ的な仕掛けはそれほど強烈ではないが、代わりに、いかにして事件起こりしか、という人間心理の綾を、樹下太郎の筆は淡白かつ丹念に掘り起こしてゆく。うまい。実にうまい。そしてその根底には、現代のサラリーマンにも通じるものがあったりするのだ。やはり人間は、いつの時代になっても変わらない面だってあるのだなあ、と感慨深い。狂信的女権伸張論者と、古い=悪いと勘違いしている馬鹿を除けば、広くお薦めできる作品ではなかろうか。
 なお、昭和50年代に書かれた短編が付録で付いている。何かよくわからんが死神になってしまった一組の男女を描く「死神」、建設現場から出て来た人骨に右往左往する「骨」、嫁が失踪した夫を淡々と描く「土とスコップ」、いずれも哀愁を微妙に漂わせる大人の作品が揃っている。若者*2はどうでもいいかも知れない情感かも知れないが、歳をとった男の中では宝物のようになるんですよこういうのは。
 というわけで、一冊の本としても高く評価したい。

*1:『銀と青銅の差』は1961年のことであり、この人事異動はそれから更に3年ほど前のことだ。女性社員は一般職でお茶汲みやつまらん事務仕事、ということが常識であったばかりか、公言しても運動家以外からは特に眉をひそめなかった時代である。この時代の作品を読むときは、ここら辺のことも視野に入れて読み進めざるを得ない(というか、どうしても視野に入って来る)ことをお断りしておこう。

*2:気だけ若い人を含む。