不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

完全な真空/スタニスワフ・レム

完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

 架空の書物の《評論》のみで構成される作品集。
 評論の定義はなかなか難しい。評論/書評/感想が、それぞれ異なる概念であることは、少なくとも読んだ本について何らかのリアクションをおこなっている人ならば納得いただけるのではないかと思う。すなわち、評論とは「評論対象がどのような意義を持っているか」を探求する行為であり、書評とは「書評対象がどのようなものであるか」を紹介する行為であり、感想とは「対象についてどう思ったか」を表明する行為である。評論はその内容に関する様々な議論(それは当否にとどまらない。たとえば、当該評論が提起した問題について評論の読者が考察を深める、という方向の議論も含まれるはずだ)を予定しているが、書評は未読者に対する紹介という意味合いが強く、議論をほとんど予定していない。感想については、単なる個人的想念の記述に過ぎないのであるから、議論がそもそも似つかわしくない。
 『完全な真空』で展開されているのは、感想や書評ではなく、評論である。しかしながら、これはあくまで架空の書物に関してのものであるため、『完全な真空』の読者を評論が予定しているはずの議論に誘おうとした場合は、当該書物の内容紹介をかなり詳しくおこなわざるを得ない。結果どうなるかというと、当該書物の内容紹介が《評論》の過半を占めることになっており、純粋に評論と解した場合は若干不恰好となっている。もちろんこれは仕方のないことであり、私もこれをもって『完全な真空』の価値が損なわれているとはまったく思っていない。そればかりか、『完全な真空』の読者としては、こうあってもらなわければならない。つまり『完全な真空』は、「《架空の書物の評論集》という体裁をとる小説集」とすれば、ほぼ完璧な出来栄えであるが、単に「評論集」として解するという無茶には耐えられない。先述の「内容紹介」の割合が高過ぎることが主因だし、《評論》の論者が出す何らかの判断・思弁も、当該書物の内容に対しては少々弱い感じもするからだ。ただし、これはひょっとすると、「評論は作品の前には立てない by 有栖川有栖」というテーゼの、レムが予期したまたは予期せざる顕現なのかもしれず、この点に関する判断は保留しておく。
 しかしながら、『完全な真空』は間違いなく傑作である。
 それは、評論の対象である《架空の書物》がどれもこれも、実験精神や進取の気風に満ちているからである。評論の対象として扱われるのは、実験的な小説と、科学・哲学に関する専門書だ。いずれも奇怪な発想に満ちた書物ばかりであり、とても読みたくなる。特に、SF的な未来世界において著されたという設定の「我は僕ならずや」と「新しい宇宙創造説」は凄い。
 「我は僕ならずや」は、あるコンピューターのシミュレーション内に知的生命が誕生してしまうが、彼らとコンピューターを操作する科学者の関係に、その科学者が人と神の関係を見る。こう書くと単なるトンでも本のように見えるが、決してそうではない。レムはここで、宗教と人間についてのかなり深刻な問い掛けを発している。だがそれは《架空の書物の評論》という体裁ゆえ、濃い霧の向こうで何かが蠢いているのがわかる程度に見えにくくなっている。それもまた良し。
 「新しい宇宙創造説」は、なぜかこれだけ評論ではなく、あるノーベル賞受賞者の受賞時のスピーチという体裁をとる。「国王陛下、そして紳士淑女のみなさん」から始まるのが芸が細かくて良い。そして内容は、本書の中でも特濃のSF的イマジネーションの炸裂である。この受賞者が具体的に何でノーベル賞を受賞したのかはわからないのだが、彼が研究に手を染めようと決心した契機となった、発表当時は誰も相手にしなかった異端の宇宙関連の書物についての思い入れを語る。この異端の宇宙創造説は実に素晴らしく、レムが「知性*1」を信じていることがうっすら見えたようでもあり、微笑ましい限りである。
 たまたまというかやはりというか、ハイライト的な《評論》は、上記のように架空の科学上の問題を扱ったものだった。しかし、この他の、架空の小説・哲学に関する《評論》もまた楽しい。『ギガメシュ』*2と『親衛隊少将ルイ十六世』*3辺りは、もし実在していれば読みたくなったろうと思う。
 そして、全ての《評論》は、「スタニスワフ・レムが書いた『完全な真空』という架空の書物の評論集の評論」が冒頭に置かれることで、『完全な真空』という書物の中で自己完結する。読者は煙に巻かれ、何をどうすればいいかよくわからなくなってしまうのだ。実に素晴らしい。
 逆に言えば、実験的な小説が嫌いな人には多分「何が面白いのかわからない」とバッサリに斬られて終了であろう。たいへん残念なことではあるが、まあ仕方あるまい。というわけで、レム・ファンは必読の傑作。実験的な小説が読みたくなった際にも大いにお薦めできる作品だ。

*1:人間のものに限らない辺りに注意。

*2:もの凄い質と量の暗号に満ちた作品。この精度で小説を紡ぐことは、実際には不可能ではないか。

*3:ナチス親衛隊の少将が、南米に亡命し、三文小説で仕入れたインチキ知識にもとづいて、ベルサイユ宮殿を造営し、フランス国王として生活し始める物語。こちらは実現可能と思うので、誰か書いてくれないかなあ……。