不壊の槍は折られましたが、何か?

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宇宙飛行士ピルクス物語/スタニスワフ・レム

 宇宙飛行士ピルクスの、訓練生時代〜ベテラン宇宙船長時代にかけての10個のエピソードを、時系列はさほど気にせず並べた連作短編集。全作に一貫するテーマやプロット、裏設定はない。しかしその代わり、各編ともに、かなり深い考察が重ねられており、しかも宇宙飛行に関する描き込みは精緻を極める。反面、いわゆる人間ドラマ的な側面は抑えられ、物語にいわば《遊び》が全くないので読んでいて疲れる。別に嫌な疲れ方ではないと思うが、エンタメ性が薄いことだけは間違いない。
 極論すれば、『宇宙飛行士ピルクス物語』は、小説としては面白くないかもしれない。アイデアそれ自体も、骨子だけなら他の作家がいくらでも書いている。だがしかし、この緻密さ、この深度でそれを成し遂げた人を私は他に知らない。だからこそ私はレムを畏怖する。本当にお腹一杯であった。
 以下、各編のご紹介。あんまりまとまってないんで、不要な方は無視すべし。
 オチが非常にありがちな最初の「テスト」は、訓練生たちの雰囲気が珍しく瑞々しく描かれるが、テストの描写の緻密さといったら! そしてだからこそ、この陳腐なオチすら迫力を備えるのだ。次の「パトロール」は、特に何もないのに宇宙船が続々と跡を絶つ宙域の謎を解く。これまたそれほど凄いネタは詰め込まれていないが、細部の描き込みがハード。3編目の「〈アルバトロス〉号」は、こういう名の宇宙船が原子炉事故起こし、近くにいたピルクスが乗り合わせた宇宙船が助けに行く話。特段のエンタメ的事態は起きない。宇宙船の炉がトラブルを起こすことがどういうことかを、実にリアルに描き出す。
 以上3編は単なるデモ或いは準備運動。
 4編目以降が正にレムの本領発揮。「テルミヌス」は、古い宇宙船を買ったピルクス船長が、そこに搭載されていた古いロボットにある秘密があることを発見する物語。私はこのネタがとても怖かった。5編目の「条件反射」は、人間と機械の認識のすれ違いを鋭く描く。6編目「狩り」は、狂って逃げ出したロボットを、ピルクスはじめ宇宙飛行士たちが月面で狩る物語。幕切れが実にレムらしい。7編目「事故」が、外惑星の調査チームのロボットが失踪してしまった作品。「狩り」や「事故」で提示される、ロボットに関する考察の深度は、もはやこれだけでアシモフに匹敵するのではないか。素晴らしい。8編目「ピルクスの話」は、ピルクスが出くわしたある出来事に関する、箸休め的な一編。
 そして9編目「審問」と最後の「運命の女神」は、本短編集の白眉である。前者は、人造人間の実地テスト(本物の人間に紛れ込ませて宇宙航空させるもので、船長のピルクスにさえ誰が人造人間か教えられない)と、そこで起きた事故を描く。「運命の女神」は、着陸段階に入る度に事故を起こす宇宙船自動操縦システムの謎を解く。いずれも、人間と機械の狭間、或いは近接性をじっくりと硬質に、いわばガチンコ勝負で描いた作品で、本当に圧倒的だ。
 レム・ファンなら読んでも良い一冊と言えるだろう。