不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

封印の島/ピーター・ディキンスン

封印の島 (論創海外ミステリ)

封印の島 (論創海外ミステリ)

 ピーター・ディキンスンは私にとっての神の一人*1である。倦み疲れた力なきユーモアと共に、死や老い、衰えを強く意識させる作風に、たまらない魅力を感じてしまうのだ。ミステリ作家としてのディキンスンの特徴は、麻耶雄嵩が指摘するように、伏線の張り方にあって、トリックやロジック、名探偵のキャラ立ち等にはない。しかし、物語全体から見れば恐らくミステリ要素はサブでしかなく、先述の特殊な雰囲気こそが、ディキンスンを読みたいと私に思わせる原動力となっており、同時に、恐らく半永久的に一般受けはしないであろう要因となっているのだ。
 さて、そんなディキンスンのシリーズ探偵が、ジェイムズ・ピブル警視*2である。有能なんだか無能なんだかよくわかなからない50代男性で、人格的には真面目、少なくとも阿呆ではない。また、出世に関しては最初から諦念を持ちつつ、仕事そのものについては、やる気が感じられなくもない。ただし、うだつが上がらないことだけは間違いないところではある。そしていつも変なシチュエーションで探偵役を務めることになるのだった。このシリーズ、第5作までポケミスで訳されたものの、なぜか第3作だけ順番を飛ばされてしまったのだ。それこそが《The Seals》、すなわち本書である。『盃のなかのトカゲ』は未入手につき読めておらず、良質なファンを自称できない辺りがつらいところだが、しかしそれでもなおファンの一人であると強弁し、半ば諦めていた本作訳出を純粋な喜びとするところである。余勢を駆って残る第6作もどこかで出して欲しいが、まずは今回だけでも望外の喜びとしておくのが無難か。
 まあそれはともかく『封印の島』である。
 宗教法人《証印神授教団》は、スコットランド南西に位置するクラムジー島で、バビロンを敵視したエルサレムの建設を進めていた。しかし資金難により、工事は途中でほぼ止まっている。そんな《証印神授教団》に、喜捨して入信しているノーベル賞科学者フランシス・フランシス卿は昔、ピブルの父ウィロビー(故人)の上司だった。卿は回想録を執筆するために、ウィロビーの話を聞かせてくれとクラムジー島にピブル警視を呼び付ける。だが、ウィロビー・ピブルの話を聞きたいのは、むしろジェイムズ・ピブル警視の方だったのだ……。
 わかりやすい殺人事件は発生しない。金に困った狂信的な教団が、その広告塔としての役割を担うノーベル賞受賞者を事実上監禁し、それをピブルが救出しようとする話だ。教団信徒は幹部を含めて大概おかしいし、フランシス卿は92歳の老人で、覚醒と恍惚が数時間ごとに交替するし、ピブルを王子と信じ込む(呼び掛けは「殿下!」)頭の狂った少女すら登場する。ことほど左様に登場人物には変なのが揃っており、物語も実はかなり動く。ピブルは今回も踏んだり蹴ったり。
 しかし、アクション・シーンですら、爛れたような倦怠感がどこまでも付き纏い、最初から最後まで、爽快感や晴れがましさは徹底的に排除される。読者は『封印の島』をしんねりむっつりと読み進めるしかないだろう。これに付き合えるか否かが重大な分かれ目となる。付き合えさえすれば、この作家特有の、あの疲弊しきった雰囲気を、骨を髄までしゃぶるがごとく味わい尽くすことができるはずである。即ち、ピーター・ディキンスンの何たるかがわかるはずなのだ。
 なお論創社ということで翻訳を心配した向きもあるだろうが、幸いにも今回は、珍しく真っ当な人選であった。いつも面子にディキスンは無理であることを編集もわかっていた模様だ。というわけで、ディキンスン・ファンは必携の逸品である。

*1:その割にはあんまり読んでないんですが。ちなみに他の神はアントニイ・バークリーコードウェイナー・スミスジーン・ウルフです。近い将来、スタニスワフ・レムも加わる可能性大。変態と蔑まれても仕方ないラインナップかも知れない。

*2:と言ってもシリーズ途中で警察をクビになり、第4作以降は「元警視」でしかない。