不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

天のろくろ/アーシュラ・K・ル=グウィン

天のろくろ (fukkan.com)

天のろくろ (fukkan.com)

 ジョージ・オアは見た夢が現実化してしまう超能力を持っていた。しかし、どんな夢を見るのかコントロールできないし、だいいち自分が勝手に世界を変えてしまってよいのか? 彼は思い悩み、精神科医ウィリアム・ヘイバー博士に相談しに行く。当然だが最初は全く信用しない博士。しかしふとした拍子に、博士はオアの能力が本物であることに気付き、彼の夢を催眠術である程度コントロールし、世界をより良き方向へ導こうとする。
 一方、これに気付いたオアは、世界改変の重みには耐えられないと考え、弁護士ヘザー・ルラッシュ(黒人女性)のもとに相談に行く。やっぱり最初は信用されないのだが、博士にオアが催眠術をかけられている場に居合わせることで、彼女もまたオアの能力が本物であることに気付く……。
 世界改変とその顛末、そして上記主要登場人物3名の苦悩を、分厚い筆致でじっくりと描き出す傑作。重要なのは《夢による世界改変》というガジェットではなく、世界改変に伴う倫理的な問題である。オアは基本的に世界をあるがままにすべきとし、自分の能力は消されるべきと考えている。一方、博士は、人類の抱える危機を抜本的に解決することができるのであれば、世界改変は許されるという立場をとる。この二つの立場の相克が主要テーマを織り成すが、注意すべきは、登場人物も作者も、この問題の白黒をはっきりさせようとはしていない点である。為されるのは問い掛けのみであり、物語はストーリーが展開したから終わるに過ぎず、テーマ解決には何ら寄与しない。夢を誰も完全にはコントロールできないことも、問題を複雑化している。
 一方、ヘザー・ルラッシュの闊達な動きにも注目したい。上記2名の男たちが眉間に皺を寄せて荘重にテーマを追求する傍らで、彼女は常に、実に活き活きとしている。物語の色調がややもすれば灰色に傾きがちとなる中、ヘザーとオアの交流は彩りであり、更にまた、ル=グウィンの考える《女性》を体現している点で彩り以上の重要な機能を持っているように思われる。
 各章の最初に、老子荘子、あるいは夢に関する既存文献からの引用が置かれるのも物語のベクトルを明らかとしており、素晴らしい。
 新版あとがきで訳者の脇明子が「いま、子供たちを深刻に脅かしているのは、映像メディア、電子メディアの氾濫だ。」などと言っていて頭が痛くなったが、訳文そのものは良いと思うし、版元を考えるといつまた切れるかわからないしで、広くお薦めしたい作品である。