不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ドアのない家/トマス・スターリング

Wanderer2006-05-22

 父に莫大な遺産を残されたハンナ・カーペンターは、ホテルの一室に34年間引きこもっていたが、ある日、唐突に外出しようと思い立つ。町の様相は一変しているわ、そもそも人がいっぱいいるわで、彼女はぷるぷる震えながらバーに立ち寄る。ハンナは、そのバーでデイヴィッド・ハマーに出会う。彼は恐喝者であったが、なぜか意味不明にハンナに親近感を覚え(マジ。内面描写ありまくり)、「今晩うちに呼ぶパーティーの客の一人が、自分を殺したがっている」と悩みを打ち明ける。よせばいいのに、ハンナはそこで「手助けしてあげますわ」と安請け合いし、名を偽ってハマー邸のパーティーに紛れ込む。そしてパーティーの不穏な空気の中、34年間ほとんど飲まなかった酒を痛飲、眠ってしまう。目を覚ますと、ハマーは殺されていた……。
 引きこもりが殺されるミステリなら、それなりの数があると思う。しかし、34年ものキャリアを誇る引きこもりが勇気を奮い起こして外出した途端に、これから死ぬ奴に助けてくれと言われ、結果として殺人事件現場に自発的に行ってしまう、という作品はいくら何でもこれだけではないかと思う。最大の読み所はやはりハンナの人物造形だ。奇特な生活を送っていた老嬢の性格を、スターリングは、雰囲気たっぷりに、丹念に描出する。都会の中の孤独・隠遁といった情感を確実に捉え、かつ書き出す筆力。素晴らしい。
 他の事件関係者もなかなかに奇特な人柄の者が多い。またケヴィン・コレリ警部は、もちろん事件に力を注ぎつつも、妻の初めての出産に間に合うよう解決できるか気が気ではない。ここら辺も、作者は遺漏なくしっかりと、しかし押し付けがましくなく物語に盛り込む。様々な人間模様が交錯する様を、落ち着いて鑑賞できる素晴らしい作品である。ハンナの奇妙な設定も含め、お薦めの作品だ。