不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カードの館/スタンリイ・エリン

Wanderer2006-02-22

ISBN:4150010897
 太古の昔、都筑道夫は《古い皮袋に新しい酒を!*1》という趣旨の主張をおこなった。当該評論には色々同意できない点はあるのだが、面白い提言であることは間違いない。
 スタンリイ・エリンが都筑道夫の説を知っていた可能性は極小*2だが、『カードの館』は方向性が不思議と一致しており、古来伝えられた超ありがちな物語の鋳型に、それなりに同時代なネタ(当時)を放り込んだ作品である。もっともこの場合、皮袋と酒は、本格ミステリのそれではない。恋と冒険のロマンとしてのそれだ。
 パリの下町のクラブで、用心棒を務めているアメリカ人元ボクサー、レノ・デイヴィス。ある夜、彼はそのクラブで業務の一環として金持ちの美人アン・ド・ヴィルモン夫人一行を助ける。レノはアンに見込まれ、彼女の幼い息子ポールの家庭教師に雇われることになる。ド・ヴィルモン家(アルジェリアで富を築くが、当地独立によりフランスに引き上げてきた)には、一族が住み、或いは出入りしていたが、どうもアンは何かを恐れているようだ。最初のうち、レノはアンの不安を、夫をテロで亡くしたご婦人の神経衰弱だと思って本気にしなかったが……。
 まあそんな感じで物語は進む。終盤で姿を現す《真実》は、確かに当時の時代の空気を反映しており興味深いが、原則的には終始、古式ゆかしい恋と冒険の物語として展開してゆく。ラストの落ちさえもが定石どおり。細部に顕現するエリン節はそれなりに好調で、人生の断面を鮮やかに見せてくれるが、そのような情感を盛り込んだからこそ作品が妙に長くなったのも事実。このバランスをどう評価するかが分岐点となろう。個人的には、失敗作だと思う。別に怒り出すほどではないが。
 というわけで、エリンのファンなら、エリンに対する愛がいかほどのものかチェックするのに使えるかも。

*1:新旧は逆だったかもしれない。今手元にないんでわかりません。申し訳ない。

*2:『黄色い部屋はいかに改装されたか?』が1975年、『カードの館』は1967年。また、都筑の評論が英訳されたことはないと思うし、知人を介して「日本にそんなこと言ってる奴がいる」とエリンの耳に入れた奴がいるとも思えない。ただし、完全に全くあり得ないとまでは小生の知見では断言できないので、「極小」という言葉を用いた。