不壊の槍は折られましたが、何か?

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バスク、真夏の死/トレヴェニアン

バスク、真夏の死 (角川文庫)

バスク、真夏の死 (角川文庫)

 1914年夏、バスク人で医師の卵、ジャン=マルク・モンジャン(24)は、バスピレネーの温泉町で、ドクター・グローの元で働いていた。そこで彼は、一家で町に静養に来ていた美しい娘カーチャ・トレビルに出会う。一目見たときから彼女に惹かれるジャン=マルク。しかし彼女には双子の弟ポールがいた。ポールはジャン=マルクに、姉に深入りするなと、ときに脅し、ときに宥めるのであった。どうやら一家には秘密があるらしいのだが……。
 筆致が静かなこと、全てが洗練されていることを除けば、トレヴェニアンは作風を作品によってコロコロ変えるようだ。『バスク、真夏の死』は恋愛小説であり、主人公ジャン=マルクの痛々しさがたまらない。また、この作品は1938年、48歳のジャン=マルクが当時を回顧するという体裁で成り立っている。カーチャとの恋愛の顛末もさることながら、間に第一次世界大戦が挟まっており、これが物語に決定的な影響を与えている。大戦はヨーロッパ人の精神を変えたと、トレヴェニアンは明確に打ち出す。笠井潔なら鼻息荒く大量死論を振りかざすと思われるが、もちろんそんなことせずとも、主人公の《当時の私は、まだ若く、ものを知らず、自信に溢れ、夢を見て、でも希望に満ちていた……》という感じの、虚無感溢れる語り口が実に素晴らしい。そして最後の一行も、実に深い印象を読者に残す。
 以上、主人公に関して言及したが、他の登場人物もたいへんいい感じだ。トレビル一家は非常に鮮やかに描き出される。特に、弟ポールの煩悶が印象的である。一方でカーチャは、ある種の夢見心地の感慨をもって述懐されており、私は大いに買いたい。また、ドクター・グローは、本筋にはあまり絡まないものの、登場する度にウィットに溢れた快活な物言いで、読んでいて非常に愉快であり、サブキャラとして見事に話の脇を締めている。
 そんなこんなで傑作である。広くお薦めしたいが、今生きているのだろうか?