シブミ/トレヴェニアン
- 作者: トレヴェニアン,菊池光
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1987/09
- メディア: 文庫
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- 作者: トレヴェニアン,菊池光
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1987/09
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非常に不思議な小説だ。
まず上巻では、現在の事件そっちのけでニコライの半生が描かれる。また現在の事件が中心となる下巻でも、というかむしろ下巻の方で、《シブミ》の何たるかがより明確にされる。ここでの日本・東洋は(恐らく故意に)歪められており、随所でディテールに大量の《事実》*1を混入させるため非常にもっともらしいが、はっきり言って本質的には嘘八百。しかしながら、通常その手の小説によく見られる、《東洋への予断・偏見・憧憬》的な硬直した感受性は皆無だし、かといって《虚構で楽しく遊ぼうぜ!》的な軽く弾むようなノリもない。あるのはただただ、素晴らしく洗練された作品世界なのである。
『シブミ』におけるトレヴェニアンの筆致は、終始、極めて端正・柔軟であり、ニコライ・ヘルの言動共々、常に落ち着いている。詫び寂びにさえ通じるこの静かな落ち着きは、深い感慨(感銘とは敢えて書かない)を我々に与えるだろう。加えて、情景描写が非常に美しく、特にバスク地方の描写の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。日本人やバスク人のサブキャラも、綺麗にキャラ立ちしている。
一方で、ミュンヘン・オリンピックでのテロ、世界の支配者たる母会社などの社会的背景・設定は、壮大な割に、物語によって実際に言及される範囲が限定的だ。テロ云々は導入部の枕に過ぎず、母会社が物語に落とす影も、その設定の割には、大きくない。恐らくこれまたトレヴェニアンの故意であり、物語の主軸が《社会を描き、語ること》にないことの証左だろう。もちろん、物質中心の西洋社会vs精神中心の東洋社会、というある意味典型的な構図が見られないわけではない。しかし、それ以上に、ニコライ・ヘルの達人ぶりが強く打ち出され、物語はリズム良く、しかし飽くまで節度を保って進行するのである。
ミステリというジャンル傑作の一つであることは間違いない。新装復刊したようなので、この機会に読者が増えてほしいなあ……。