不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

シブミ/トレヴェニアン

シブミ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

シブミ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

シブミ〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

シブミ〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

 ミュンヘン・オリンピックでテロった過激派に復讐しようとしたユダヤ人組織の人間が、ローマ空港で射殺された。アラブ諸国と組んで石油利権を支配し、CIA経由で西側世界を牛耳ってさえいる巨大組織・母会社(マザー・カンパニイ)の差し金である。だがユダヤ人グループには、一人だけ生き残りがいた。26歳のハンナである。彼女は、叔父が昔命を救ったことのある凄腕暗殺者(でももう引退している)、ニコライ・ヘルの助けを求め、彼が隠棲するバスク地方に向かう。ニコライは当地で日本庭園(手入れは自分でやっている)付きの豪邸を構え、情婦ハナと共に住み、趣味の洞穴探検に打ち込んでいた。このニコライ・ヘルは、亡命白ロシア人を母に持ち、1930年代を上海で、40年代を日本で送り、日本人精神の精髄=シブミを体得した凄い奴なのであった……!
 非常に不思議な小説だ。
 まず上巻では、現在の事件そっちのけでニコライの半生が描かれる。また現在の事件が中心となる下巻でも、というかむしろ下巻の方で、《シブミ》の何たるかがより明確にされる。ここでの日本・東洋は(恐らく故意に)歪められており、随所でディテールに大量の《事実》*1を混入させるため非常にもっともらしいが、はっきり言って本質的には嘘八百。しかしながら、通常その手の小説によく見られる、《東洋への予断・偏見・憧憬》的な硬直した感受性は皆無だし、かといって《虚構で楽しく遊ぼうぜ!》的な軽く弾むようなノリもない。あるのはただただ、素晴らしく洗練された作品世界なのである。
 『シブミ』におけるトレヴェニアンの筆致は、終始、極めて端正・柔軟であり、ニコライ・ヘルの言動共々、常に落ち着いている。詫び寂びにさえ通じるこの静かな落ち着きは、深い感慨(感銘とは敢えて書かない)を我々に与えるだろう。加えて、情景描写が非常に美しく、特にバスク地方の描写の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。日本人やバスク人のサブキャラも、綺麗にキャラ立ちしている。
 一方で、ミュンヘン・オリンピックでのテロ、世界の支配者たる母会社などの社会的背景・設定は、壮大な割に、物語によって実際に言及される範囲が限定的だ。テロ云々は導入部の枕に過ぎず、母会社が物語に落とす影も、その設定の割には、大きくない。恐らくこれまたトレヴェニアンの故意であり、物語の主軸が《社会を描き、語ること》にないことの証左だろう。もちろん、物質中心の西洋社会vs精神中心の東洋社会、というある意味典型的な構図が見られないわけではない。しかし、それ以上に、ニコライ・ヘルの達人ぶりが強く打ち出され、物語はリズム良く、しかし飽くまで節度を保って進行するのである。
 ミステリというジャンル傑作の一つであることは間違いない。新装復刊したようなので、この機会に読者が増えてほしいなあ……。

*1:トレヴェニアンが上海や日本に詳しいことは間違いない。だからこそ、この歪みは故意であるに違いないと思うのである。