不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

小説四十九歳大全集/樹下太郎

Wanderer2006-02-03

 二十代に出征して生還した年代の人々が、サラリーマンとして高度経済成長下で四十九歳を迎えている、というキャラが主人公を務める作品ばかり集めた短編集。要するにサラリーマン小説である。樹下太郎1920年生まれなので、ある意味自分のことを書いた面もあろう。
 戦場で戦友たちはバタバタと倒れ、しかしその死は敗戦により無駄となったにもかかわらず、知命の歳直前、自分はやる気のないサラリーマンとしてのうのうと生き、スケベ親父*1となっている。戦争で死んだ同年代の奴らに申し訳ない、という一種の罪悪感が色濃く、非常に印象的である。そして漂うユーモアと中年男の哀愁。
 以下、各編の粗筋等を書ける範囲内で。
 「四十九歳全集」は「社長になりたくない。」という一文で始まる。何でも、最近の社長は本当に仕事していて忙しそうで、若者に「こうなりたい!」と思わせるものがないのだそうだ。そして主人公は万博ボケの同期と語り合い、生きがいはセックスであると語る。何でもこの同期、嫁とラブホテル行って非常にエキサイトしたらしい。このやる気のないダメリーマンぶりが素晴らしい。ラストの社長の一言が非常にかっこいい一編。お薦め。
 「キクと菜の花」は、中国の前線でたまたま戦友と二人で日本人慰安婦を送り届ける羽目になった男の物語。一戦交わした後で、日本娘はいい、中国娘とは違う、などとへっちゃらで書ける辺りが素晴らしい。
 「ゴム紐えれじい」は、職場の部下(30歳の女性)と「君が結婚する前に、青空の下でしてみよう」と約束していた上司が、それを実行する物語。例によってスケベで女のことしか考えてなさそうな主人公だが、性欲ガツガツという感じではなく、どこか飄々としているのが特徴であり、魅力でもある。そしてこれはこの短編にのみ言えることではなく、他の作品も悉くそうなのだ。そして、だからこそ哀愁が引き立つのである。
 「人妻と風呂敷」は、ちょびひげを生やして外見だけは威風堂々とした室長が、出張に行く度に女を買う話。でも社内の二十四歳の女性にも手をつけている。相変わらず女とやることしか考えていない主人公なわけだが、それでもなお絶妙な哀愁を感じさせる辺りが腕だ。
 「小音楽堂の秋」は、四十九歳の男が、社内の若い女性に手をつけてしまい(またですか)、それが会社にバレて女性は子会社に出向させられてしまう話。日比谷公園での最後のやり取りが素晴らしい。
 「神さまと大きなお尻」は、大きなお尻大好きな男が、旦那と喧嘩して神戸に行ってしまった友人(女性)を探しに行ってやる話。くだりの新幹線(無論《ひかり》である)で出会った、顔はアレだがお尻がいい感じの女性と、下車後やっぱりやる。哀愁があまり感じられない作品で、陽気にはっちゃけていて楽しい作品。大きなお尻のことしか考えてなさそうで超頭悪い。
 「感傷的な女」は、これだけタッチが趣を異にする。妻(39)が殺されるのだが、どうやら和姦後殺されたらしいのだ。妻がそんな淫乱な女だったとは、と呆然とする夫。あくまで男性サイドの視点からだが、三十九歳の主婦の哀愁や虚しさが垣間見える作品である。
 作品解題(と言うほどのものでもないが)は以上。以下は余談。
 たとえば古典的なミステリやSFを読んで「時代を感じさせる」「古い」云々としたり顔で述べ立てる人間は後を絶たないわけだが、ミステリやSFがいかに《古びることに抵抗力を持ったモノ》であるかを没却した意見としか思えず、非常に不愉快である。見たまえ。《時代を感じさせる作品》とはこのような作品を言う。そして、だからこそ独特の味わいも出るのである。忘れ去られつつあるのも仕方ないかも知れない。しかしそれでも私は、樹下太郎を見つけたら購入し、折に触れ読み続けるだろう。そんな感じ。

*1:本作の登場人物がおこなっているようなことを現代でやると、少なくともセクハラとして人事部にTELされるのは間違いないものと思われます。どうかすると逮捕かもしれない。