不壊の槍は折られましたが、何か?

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竜とわれらの時代/川端裕人

竜とわれらの時代 (徳間文庫)

竜とわれらの時代 (徳間文庫)

 1993年、北陸の村に住む高校生、風見大地・海也兄弟と大地のクラスメート草薙美子は、岩場で竜脚類の全身骨格が埋まっているらしいことを発見する。成人後に、それを発掘することを約束する三人。そして時は流れ、大地はアメリカに留学し、古生物学徒として、遂にプロジェクトを立ち上げ、発掘のため故郷に帰還するのだった……。
 大原まり子の解説が、全てを言い尽くしている。

 化石は沈黙して、ただ横たわるのみ。
 その巨大な骨を前にして、私たちは恍惚と夢を見る。

――「解説――一流の恐竜小説」 徳間文庫版 805p

 この《夢》が、この物語の様々な成分、つまり科学、宗教(キリスト教イスラム教、果ては日本の民俗信仰まで!)、アメリカ論、異文化コミュニケーション、少年の憧れ、イデオロギー原発地方自治体間の体面、ジェネレーション移行などである。つまり、《現代=われらの時代》に他ならない。これほどまでに多くの事象が、しかも深く描かれるのは圧巻。作品中では次々にイベントが生じ、時としてスリリングな展開さえ見せ、読者を飽きさせることは決してない。だがしかし、恐竜の存在感はそれら全てを断然圧し、まさに神の如き威儀をもって、物語全体を覆う。そう、この作品はまさに『竜とわれらの時代』と言うほかない。実に素晴らしい、大傑作であると思う。文章も読みやすく、構成もよく考えられている。少しでも川端裕人に興味があるならば、読まねばならない作品だろう。
 ただし、懸念事項が一つだけある。古生物学は現実に日々進展し、また世相も凄まじい速さで変転してゆく。この作品中で語られる《竜》と《時代》が全て古びる日は必ず来る。そうなったとき、『竜とわれらの時代』は、相応のエクスキューズ付きでなければ楽しめなくなるのではないか。最新性・同時代性を喪失したとき、この作品はかなりの大ダメージを蒙る危険性がある。読まれるべきは、まさに今、二十一世紀初頭なのではないか。そんな思いを強くする次第である。