不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

シビュラの目/フィリップ・K・ディック

Wanderer2006-01-01

 「待機員」と「ラグランド・パークをどうする?」は連作であり、ホワイトハウスのコンピューターが大統領を務め、そのコンピューターが故障等で機能停止した場合に大統領職務を代行する、無作為に抽出された(?)人間が待機員を務める、という設定の元、色々起きる騒動を描く。ディックにしてはお気楽なコメディタッチの作品。もちろん風刺性は鋭いのだが、深刻な雰囲気をまとうまでは行かない。
 「宇宙の死者」は、『ユービック』にて大輪の花を咲かせることになる《半生者》という設定を、これまたフルに活かして描く、ホラータッチのサスペンスフルな一編。社会派的な要素も混入するのがいかにも「らしい」と思った。半生者の声が電波に乗って現れるヴィジョンは素晴らしい。
 「聖なる争い」は、軍の中枢コンピューターが、世の中は一見平和であり、特段何も起きていない思われるのに、いきなり核戦争を始めようとして、技術者たちが慌てて原因を探る話。コンピューターの思考回路を辿る知的興味がメインに据えられる。軽快かつとぼけたオチも含め、このような作品をディックが書くとは思わなかった。
 「カンタータ第百四十番」は、働き口もなく数千万の人々が冷凍睡眠に入った閉塞的な社会において、深刻な政治劇と大騒動が展開される。表情こそしかつめらしいが、終幕も含め、ディックは珍しくポジティヴな姿勢を見せる。興味深い。
 以上五編は、「宇宙の死者」を除き、私が既読の作品群とは味わいが異なるものが多いのだが、最後に置かれた表題作「シビュラの目」はまさにディック。SFではなく怪奇幻想小説と思われるが、この作品はディックにしか書けない、根拠は言葉にできないが、そんな気がしてならない。
 というわけで『シビュラの目』は、ディックの様々な顔を高水準の作品群を通して見ることができる、見事な短編集となっている。読んでいるだけで楽しめる作品も含まれているので、ディックのファンにも、普通の読書にもお薦めできる一冊といえよう。