新日本フィルハーモニー交響楽団
- 大倉由紀枝(ソプラノ)
- 菅有実子(アルト)
- 永田峰雄(テノール)
- 大澤健(バス)
- 栗友会合唱団(合唱)
- ヴォルフ=ディーター・ハウシルト(指揮)
人間の善なる部分を信じ、混沌とした世の中から、神々の花火輝く歓びの世界へいざなうこと。それこそが第九のテーマであるとするスタンスを取り、そこに現代にも通ずる痛切さを増さんがため、第九の前にマルティヌーの、第二次世界大戦中の虐殺に材をとった作品が演奏される。この《リディチェへの追悼》と第九は、休憩なし、拍手なし、オケ・指揮者の入退場やチューニングもないまま続けて演奏され、一層効果を高めていた。たいへん重いコンセプトによるプログラミングであり、胸にこたえた。
これには、演奏が素晴らしかったことも大きい。ハウシルトの解釈が隅々まで行き届いているのが見て取れ、皆で同じ方向を向き音楽をやろうという姿勢。アンサンブルは締まっており、NHK交響楽団や読売日響よりも上だと思ったりした。正直《リディチェへの追悼》の方が良かった気もするが、第九もヴィブラートを抑え、弾むリズムで手際よく、しかし真摯に進めるもので好感度高い。声楽陣は芝居気があったように思うが、指揮者の解釈かもしれず(メッセージ性を強く打ち出すならば、こうなるのはおかしくない)、そのこと自体をもってどうこう言うつもりはない。男声はよく声が出ていたと思う。そして合唱は……まあこんなもんなんだろう。総じて完成度が高い、良い演奏会だったと思う。
第三楽章前にソリストが入場し、そこで拍手が起きたことだけが残念。ハウシルト、嫌な顔で制止していた。あんまり効果なかったけどな。演奏家を拍手をもって迎え、歓迎の気持ちを伝える。ふむ、そのこと自体は良かろう。しかし、まだ曲間である。確かに第二楽章は終わった。だが曲は終わっておらず、音楽は続いているのだ。私は原理的に過ぎるのかも知れないが、そんな状態で拍手する人の気持ちがよくわからないのである。