不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

氷壁/井上靖

氷壁 (新潮文庫)

氷壁 (新潮文庫)

 登山(冬山含む)を趣味とする会社員・魚津恭太は、山からの帰り、行きつけの居酒屋に立ち寄る。そこで山仲間の小坂乙彦に出会う。小坂は、自分が想いを寄せる八代美那子(科学メーカー重役、八代教之助の、歳の離れた妻)と待ち合わせしていた……。
 私の読書体験の範囲内に限るが、登場人物の《本音》は、彼または彼女自身が視点人物であった際に内面描写をもって語られることが多い。彼らは自分の《本音》を完璧に掌握している。或いは、物語が終わるまでに掌握する*1。彼らがそれを具体的に言動に反映させるか否かは別の問題*2だが、いずれにせよ、《本音》は登場人物自身および読者において確定される。
 『氷壁』は、以上の私の乏しい体験を完膚なきまでに叩き潰してくれた。
 この小説は、小坂と魚津の《本音》、つまりは人格を多視点から多面的に描く。視点を担当するのは主に、魚津、美那子、八代の三名であり、ここに魚津の上司や小坂の妹がサブで加わる。私が衝撃を受けたのは、魚津自身が内面を語るシーンがふんだんあるにもかかわらず、彼の《本音》=人格が一面的には確定せず、視点・場面によって魚津が多面的に表現され、魚津の《本音》がどこにあるのか、本人にも読者にも未確定のまま話が進むことである。しかも、だからと言って魚津というキャラが茫洋とするわけではなく、一個の確立した人格として、鬼クリアに、みるみる眼前に立ち上がってゆくのである。最初のページからとか、そんなレベルで。
 これらの諸点に関しては、視点人物となることこそないが、小坂も同様である。そして、《本音》が出ても来ない段階で神速にキャラが立ち上がる点では、他のほとんどの登場人物がそうだ。つまり、もはや登場人物が何を考えどう感じているかなどどうでもよく、単にそこに《いる》だけで、確かに一人の人間がそこに息づく。すさまじい筆力である。
 何を言っているかわからなくなって来たので、ここら辺でやめておくが、とにかく素晴らしい。これに慣れきってしまったら、そりゃエンタメ馬鹿にする読者が出現してもおかしくない。或いは、何をどうやったらこんな人物描写ができるのか、ちょっと考えてみれば、井上靖が実現していることの恐るべきレベルがわかるだろう。頭の中身がどうなっているのか見てみたい。
 というわけで、もはや小説内で何が起きようとどうでも良かったわけだが、こっちでも井上靖は万全な仕事ぶり。構成は完璧、しかも感情の機微にも鋭敏に反応している。凄いとしか言いようがない。これは確かに、束になっても敵わないと思った(束になるのは誰?)。大絶賛以外の何ができようか。
 紹介していただいたid:shakaさんには感謝申し上げたい。

*1:例:そうか俺はこの女が好きだったんだ!

*2:例:わが恋の終わざるが如く、この曲もまた終わざるべし。